「五島-常世への出発」(谷川健一)
三井楽の浜は福江島でももっとも大きい砂浜で、そこには海辺の墓地がある。そこにはイルカが押し寄せてくることもある。砂浜の岩の上に、癩のために死んだ者の死体を置いて鳥についばませるようなこともあった。
三井楽の西北端にはある柏港は、遣唐使の船がさいごに寄港して水を積み込んだところ。柏崎のさらに西に嵯峨ノ島がある。ここでは月影を踏んで死者をとむらうオーモンデ祭りがある。はだしで踊る南方的な色の濃い祭り。島の裏側には、海におちこむ崖がある。「私はその異状な光景に、何かこの世の裏側を見たような気がした」(「五島-常世への出発」)。
柏の漁港から船で二時間ほどのところに「高麗曾根」という浅瀬がある。ここはもと高麗島と呼ばれ、その島にある地蔵の顔が赤くなるときは島が滅亡するといわれた。そういう話が柏港に伝わっている。干潮時には、墓石や石垣の跡が見えるとも伝えられる。
かくれキリシタンの『天地始之事』には「万里の島のみえろがな。あり王島のみえろがな」というくだりがある。この「あり王島」は「あろう島」のことではないか(「あろう島とにろう島」『黒潮の民俗学―神々のいる風景』)
また谷川健一は別のところでも、「美瀰良久(みみらく)の島なんていうのも、(中略)当時は空想の島だったかもしれませんね」。「あそこはちょっと異様な島ですね(嵯峨ノ島-引用者)。そこをみたときはじめて私は”この世の果て”というような感じがしたんです」と述べている(「歴史公論」第9巻第1号、1983)。
ぼくもなぜ、オールド・アナザ・ワールド探しに夢中になるのか、われながら理由がよく分からないけれど、ひとつには、こうした空想的な浪漫的な認識のされ方を払拭することにはなる。ぼくは、福江島がそうした雰囲気をまとうことになった理由の方に関心が湧く。それも地勢のなせる技だろうか。
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