黒島の針突き由来譚(『南嶋入墨考』) 2
黒島の針突き由来譚(『南嶋入墨考』)は、まだ考えることができそうだ。
昔、ある人が八重山から沖縄に旅する途中、難船し、流されて天の根まで行ってしまった。(天の根というのはどこかと聞くと、ずーうっと南の方の島だという)そこはヤラドル(濁海)で、船が沈みかかった。そのとき、船に女の兄弟の魂の手が現われて、沈もうとする船を持ちあげて呉れ、船底の釘を抜く虫がいて、釘を抜くと、すぐその抜けた穴に高瀬貝がはいって、その代りをつとめ、船も人も無事帰ることができた。そこで、船人たちは故郷に帰ってから、その魂の手に現われていた入墨と同じ模様を姉妹の現実の手に入墨し、兄弟たちは高瀬貝の形をした笠を「クバ」の葉で作らせて冠らせることにした。
この伝承は、生と死の分離以後の視線で書かれている。
・船が沈みかけ、また助けられた場所 天の根・彼方の南の島・濁海
・助けた人 女の兄妹の魂の手
・助けたもの 高瀬貝
・はじまり 女は入墨をし、男はクバの笠をかぶる
これを神話げ変形されたものとして受け止めてみる。
復元された神話の形はこうなる。
洞窟の穴から、高瀬貝が、次に手の甲に入墨をした女が出現した。
これが他界が遠隔化されると、「洞窟の穴」は、「天の根・彼方の南の島・濁海」になる。出現した「高瀬貝」は、人間を助けるものへ、「手の甲に入墨をした女」は、「手に入墨をした女の魂の手」となって、人間を助ける。
こういう変形が施されているように見える。
原形は、生と死の移行の段階に遡らせてみれば、入墨は、洞窟の穴から出現することになる。この考え方に添うなら、「霊魂」は移行のなかの「共存」の段階で発生したことになる。すると、死者の概念と変わらないのだろうか。
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