『これからの琉球はどうあるべきか』
「琉球」と枠組みを広くとっているのに「奄美」話題はほとんど出ないというのが相変わらずの不満だが、読み応えのある内容だった。
議論は多岐にわたるので、心にとまった言葉をメモしておく。
安里英子
聞得大君精度やノロ制度が初めからあったように錯覚しているけど、実際はそうではない。ノロ制度というのは、つくられた体制。御嶽という言葉も、もともとなく、漢字は当て字でしょう。薩摩以後使われた言葉なので、一枚一枚剥がしていくともっと基層にあるもの、原初的な形は何なのか考える必要があると思います。
戦争後、何もない状態から島の人は、「公民館、御嶽、共同井戸」を自力で再建していった。
不思議なのは、無人島にたくさんの考古学的遺跡があることです。人が住んでいないところに、なぜと思います。屋慶名の藪地島には六千年前の遺跡が、海をちょっと隔ててありますよね。伊是名の近くにある今は無人になっている具志川島にも古い遺跡がある。そういう地先の小さな無人島が重要な信仰の対象になっています。
どちらも一時滞在の場所になりうる島ではある。そしてどちらもかつての「あの世」という地勢のポジションを持っているのが興味深い。
この間与論に行ったら、明治三年に与論の御嶽はほとんど全部合祀されてしまって、琴平神社にまとめられたと聞きました。沖縄の場合、御嶽はなくならなかった。
ここはひと言。与論もウガンは残っていますよ。
私は自らの精神的活動、すなわち「書く」という仕事を続けなければ、逆に介護もできなくなるという確信があるので、仕事はこれまで同様続けることにしている。
これはぼくも同じだ。介護ということではないけれど。
我部政男
沖縄人が頭で描いているものと、復帰後に現実に流れていくるものとの、食い違いの対応ができないままにずっと来ていると思います。この意識のずれを埋める言葉が「本土並み」だったんじゃないでしょうか。
沖縄復帰では、「本土並み」。「憲法復帰」という観念的なもので日常的な生活の中に何か新しい風景を取り入れようとしたのが、戦後の沖縄の政治だったんじゃないかなあと思います。
伊佐眞一
ときとして自然の流れのごとく近世や古代はむろんのこと、万年単位の過去にまで一潟千里に行きつ戻りつしながら対話ができるというのは、日本国内の他府県では非常に珍しいのではないだろうか。
これも、そうなのかもしれない。
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