「沖縄採訪記」(折口信夫)
折口信夫の「沖縄採訪記」から気になる箇所をメモ。
大宜味村、塩屋。
あさぎから神人の通う「神道」は、常でも牛を通さぬことになっている。
これは人は通っていいということだろうか?
海神は、塩屋から送ると、古宇利島では迎えることになっている。
神の送り、迎えのリレー。
津堅島。「うふあなのをがん」。願立てをして、ざん即ち海馬を獲りに出かける。肉は(?)はまず根人にあげ、御嶽にあげる。
煮る薪はお嶽の木を使う。以前は「ざん藻」の生えている処には、「ざん」がかなりいたものらしい。(中略)頭の骨は、祀ることにしている。「ざん」は、乳房のあたりなど、全く人間の女に似ている。
浜比嘉の島。
しぬぐの時、番人を船場につけて、よその船からの人を上陸せしめない。
手の入れ墨は、二十三位からする。
折口が来訪した際、ずいぶんと遅くなっていたのだ。
大宜味では、「うんぢやみ祭りは、いびをまつるのだ」と折口は聞いている。
(おうの山) 奥武は宛て字である。おうというのは海中にある島という事か。羽地にも島尻にもあって、那覇のと地形が似ている。
この辺りの折口の見立てはさすがだと思う。
八重垣にて。
往古は神をきんまものというよしなるが、和語の入り来るより、神はかみといい、きんまんものとは、きじもん・まぢもんなどと邪神の呼称となれると古老の口碑あり。
ぐしょうを墓とするのは、久高島である。
伊計島では、御嶽の中心には、万年貝が五六個もすえてあって、この貝をいびと言っている。
(人の犯す事ある動物) 儒艮(ザン)を犯すれふしが時々ある。浜などに死んでいるのをそうするのである。又えいを犯す者も漁夫には多い。豚を犯して、豚が孕んで生んだ子を、人に悟られぬように埋めて了うたという話も聞く。
折口の耳にも入ったことが分かる。ザン女房譚、エイ女房譚とのむすびつき。
(にいる)にる人は、二色人ではあるまい。にれえの事であろう。にいるを地獄の意に使うこともある。「にいるの底まで、風が吹く」などという。だから、にいる人は鬼人などの意かと喜舎場氏岩崎氏もいう。
波照間では、手を清めるのに、砂で揉んでおく。
蝶(ハベル)は神の使いである。
にいる人はにいるすくから来る人だから申しますと、若い主人が言うた。やはり想像どおりだったのである。
ここは折口の興奮が伝わってくる。
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