「奄美のシマと神女」(山下欣一)
山下欣一は、「奄美のシマと神女」のなかで、「高い島」、たとえば奄美大島の地勢に触れている。
険しい山々が海に迫ってそびえており、谷間の海岸に向かって、人々の住むシマがある。(中略)シマは、このように、三方を険しい山々に囲まれ、谷間に流れる川を中心に形成される沖積台地上にかたちづくられているのがほとんどで、前面に海を望む構図をとるのがふつうである。
シマの中心はミヤと呼ばれる広場。ミヤには、アジャゲやトネヤの祭場がある。シマn広場からカミミチと呼ぶ神聖な道がのび、神が降臨すると言われるカミヤマに通じている。また、広場から海岸へと出る道も通じている。墓地は、広場の近くにあることもあるが、多くはシマのはずれ。
竜郷の円集落は、このひとつの典型。
カミヤマ→ティラ→ナミチ→ハマジョグチ→海岸
ナミチが広場。ナミチには、草分けのフーヤと祝女屋敷のナカヤドが接する。
山下は円集落の写真も載せているのだが、かつての「あの世」と考えられるティラも、遠隔化された「あの世」のカミヤマも、シマを囲む山の地勢全体からみれば、シマに実に近く山も高いというわけではない。シマに住む島人にとってどう見えたかが重要なのだということが分かる。
思うに、この山の有無は、島人の精神性の形成に大きく影響したはずである。
現実にある山を神奈備と見立てて神聖視したり、神奈備山を象った模型の「ヤマ」を聖所に据えることによって、人間は「空間の秩序」をつくりだそうとした。大地から特別な山が立ち上がることによって、天と地は分離され、感覚のなかに「空間」というものが生まれでることになる。(中沢新一「アースダイバー」アズミの神道(5))
海抜十数メートルしかなくても、「御嶽」などと「山」と見立てるのだから、「低い島」でも「山」が意識されている。しかし、与論でも「拝み山」の「山」はとれて、「ウガン(御願)」となるように、現実に「山」の存在感があるかないかでは大きな違いがあるだろう。
「うみやまのあひだ」(折口信夫)の言って本土の地勢の特徴は、奄美大島ではほとんどそのまま当てはまる。これはある意味で、奄美大島の精神性が大和化しやすい理由にもなったのではないだろうか。
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