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2016/05/23

「種子島の貝製品・貝文化」(木下尚子)

 弥生時代のはじめ、貝交易が成立。こうした動きとは別に、「弥生時代終末期、華やかな貝製装身具の使用が種子島で唐突に始まった」。そして孤島で400年近く展開した。

サンゴ礁北限の人々が、より南のサンゴ礁の貝類を豊富に使って作り上げた装身文化、これが広田遺跡の貝文化である。彼らの装身具は、北の古墳人の腕輪や、南の奄美・沖縄の装身具に少なからぬ影響を与えた。(『考古資料大観 第12巻』2004)

 広田遺跡は集団墓地。175平方キロの砂丘、1メートルの厚さにわたって人骨157体が累々と見つかる。下層は一次葬、上層は二次葬。

 遺跡の中核を担うのは、「貝符・小玉」装身型。同時期も南島にも、大和にも、このような装身文化を見い出すことはできない。

 沖縄諸島の南島型貝符は、「明らかに広田遺跡下層貝製品の部分的模倣」。奄美諸島では貝符未製品が多い。

 南島型貝符について、木下は次のように説明している。

方形貝符周縁に三角の刻みを入れたもので、全体が左右対称で、表面に彫刻を施さず、2個から6個の孔を持つ特徴がある。琉球列島の貝塚時代後期に多いが、起原は縄文時代晩期併行期に求められる。

 つまり、模倣とはいえ、同様の貝製品は存在していたということだろうか。

 また、広田遺跡の「貝符・小玉」装身文化は、同時期の南島にも大和にも、見い出すことはできないとしても、ぼくたちの知る祝女の衣装は、小玉装飾を引き継いでいるのかもしれない。

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