蝶形骨器・針突き・貝符 4
蝶形骨器、貝符、針突きの流れをもう少し追ってみる。
飛翔型の「蝶形骨器」では、十字形元になる対角線は強く意識されるが、外側を構成する四つの三角形は潜在的なものに留まる。また、綾型の「蝶形骨器」では、頭部の三角の尖りから菱形は意識されるが、四枚の翅が三角形になることは潜在的である。
ここで、広田遺跡の「貝符」をあいだに挟んでみる。ふたつの貝符は、上層と下層の祖形のひとつとして編年されたこともあるものだ(矢持久民枝「広田遺跡出土貝符の検討-その分類と編年-」)。
下層「貝符」は、「蝶形骨器」に比べてより四角形に近づくので、対角線が構成する三角形は希薄化するものの、四角形は意識されやすい。また、「蝶形骨器」と下層「貝符」のデザインでもっとも異なるのは、「蝶形骨器」では強く意識されていた翅の変化点が、下層「貝符」では見られなくなり、胴体部と四枚の翅の区別が意識されている。そのため、綾型の「蝶形骨器」を起点にすると、菱形を真中におき三角形を配置する形態が意識されてくる。
また、上層「貝符」のデザインは、「五つ星」と呼ばれる「針突き」のデザインと瓜二つである。これは、両者の共時性を強く示唆するものだ。
下図は、広田遺跡のデザインを、直接、琉球弧の蝶モチーフのデザインに系譜づけたものではない。しかし、「蝶形骨器」が途絶えて、あとはその現在形を手にしているに過ぎない状況からすると、その間の時代に存在した広田遺跡の「貝符」デザインは、現在につながる蝶モチーフのデザインの足掛かりになるものだと思わせる。
広田遺跡の人々が、蝶を霊魂の化身と見なしたかどうかは分からない。それは大いにありうるとしても。しかし、装身具や副葬品を製作した広田遺跡の人々と、主に素材となる貝を提供(おそらく贈与という形で)した琉球弧の島人には、これが「蝶」をモチーフにするものであることは、共有されていたはずだ。
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