蝶形骨器・針突き・貝符 3
蝶形骨器とその図形としての形態、そして貝符との関係を図式化してみる。
まず、「蝶形骨器」は、現状出土しているなかの最終形として位置づけられている長浜吹出原遺跡のものを取り上げる。上を「飛翔型」、下を「綾翅型」と呼んでみるとして。
ここから、図形や針突きへの展開を想定してみる。
「飛翔型」からは翅の先端から接合部の中央に線を結び、翅の先端同士も線で結べば、そこに三角形と四角形は見い出せる。それは、「胴衣」や「背守り」として展開されることになる。
「綾翅型」、蝶の胴体部の誇張が目立つ。しかし、どの「蝶形骨器」でも、胴体部の表現は忘れられることはなかったから、これもひとつの帰結なのだろう。ここから、「針突き」へは、「飛翔型」からの三角形や四角形ほどには、直接的にはいかないが、それでも「綾翅型」に、胴体部の菱形の形態は浮かび上がらせることができる。下部が完成していれば、それはより一層明確だったのかもしれない。
いちばん下が広田遺跡の上層から出土した貝符だ。また、上層貝符の祖形として位置づけられてもいる。針突きとこの貝符のデザインは酷似している。貝符の下層から上層へのデザインの連続性も指摘されているから、どちらがどちらへの影響ということは断言しないでおきたい。むしろ、デザイン自体の共鳴が重要だ。それは、貝符がデザインされた前後に、この針突きのデザインも刻印されていたと見なすことができるからだ。
上層の貝符は副葬品、下層の貝符は装飾品とみなされている。ところが、琉球弧では貝符も蝶形骨器も埋葬には伴わない。蝶形骨器は、シャーマンの化身の道具であり、またシャーマン以外の着装はなかったと考えられる。この系譜は、遺物として残らない形で継続された。
一方、広田遺跡の方は、下層の段階から、貝符が霊魂の表現として意識されている。下層から上層へ連続するのは、霊魂のファッションとして着けられたということだ。そして、上層において、針突きのデザインと共鳴するとすれば、少なくともこの段階で、琉球弧では針突きは存在していたと想定することができる。
琉球弧と広田遺跡の違いは、成人儀礼のあり方に現われていた。女性の成人儀礼は前者では針突き、後者では抜歯だったのだ。
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