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2016/05/29

「広田遺跡と貝符」(木下尚子)2

 1955年の台風22号で、砂丘は海浜に面した東側部分を焼失、崖面を形成するにいたる。そこで広田遺跡は発見される。

 墓地の範囲は南北20m、東西10m以上。「墓地に対応するとみられる集落跡の発見には至らなかった」。

1.デザイン

 下層貝符の形状は、イモガイ使用部の自然のカーブを無視するかのように、均一な板状形に加工されている。「このことから、下層タイプ貝符は本来貝以外の素材による3次元の文物のコピーであったとみることができる」。

 「ただ帯文には立体交差を表現するものがあって、この種の文様が本来何か具体的意匠の写しであることを想像させる」。

 上と下では、根拠は異なると思えるが、広田遺跡の人々は、「蝶形骨器」を参照したのではないだろうか。奄美大島笠利湾のサウチ遺跡から出土した「貝符の外形は貝符というより、むしろ南島の彫画骨製品の伝統を踏まえているので広田様式の亜様式とみなせる」。蝶形骨器の意匠は、奄美大島でも知られていたのだと思える。

貝符は本来、貝以外の素材による立体的文物のコピーらしい・下層と上層貝符の間には機能上の断絶があるが、形状・文様では継続している部分もあり、これらは一連の変化の線上にあると理解される。中層貝符は両者の中間的様相を呈している。貝符の文様意匠には左右対称性と中国的要素を認めることができる。

2.通過儀礼

抜歯は男女を問わず施され、4人に3日とというきわめて高い割合であるとされる。

 上層貝符は「長管骨などに沿って丁寧に置かれた情況であったとされる」。

貝符の未製品もあることから、沖縄の古代人が広田遺跡の貝符を模倣して貝符を作った可能性がある。(中略)今までのところ、南島の貝符はその多くが包含層出土や採集によるもので、埋葬に伴うものではない。

 これは、両者の態度の境界線のひとつをなす。琉球弧では、女性の通過儀礼は針突きだった。したがって、埋葬には伴わない。

3.霊魂の数

下層貝符は、「同一遺体に伴う貝符どうしでさえ、明らかな変異を示すこのような傾向は、下層貝符全体についても認められ、総じて一つとして同じ文様はない」。

 両者に共有されていたのは、モチーフにしているのが「蝶」であり、「蝶」は霊魂の化身であることだったのではないだろうか。


『南島貝文化の研究 〈オンデマンド版〉貝の道の考古学』

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