蝶形骨器・針突き・貝符 2
設楽博巳は、「縄文時代のイレズミ」の存在について、黥面土偶から類推している。引用しているのは、縄文晩期(前9世紀)に栃木から出土したものだ。縄文時代後期には、仮面の出現が考えられているので、「黥」にしてもそこまで遡れる可能性を持っている。
縄文時代後期 4500年前
縄文時代晩期 2900年前
一方、金子浩昌は、「蝶形骨器」の製作期間を、
貝塚時代前3期中盤 4000年前~
貝塚時代後1期前半 2400年前
としている。これをみると、定着の遅れた琉球弧での霊魂の成立は早すぎる気がする。ここには、霊魂概念を持った種族の来島などのインパクトがあったのではないだろうか。また、「蝶形骨器」の製作終了は、交易期の開始と関係があるのかもしれない。
種子島広田遺跡の貝符の上層と下層の年代は、以下のように推定されている。
下層 6~7世紀(2700~2600年前)
上層 弥生時代後期後半~古墳時代(1800?~1500年?前)
これに照らすと、「蝶形骨器」の終了と下層の貝符の出現とは、踵を接しているように見える。また、上層の開始年代をみれば、約1800年前には、「針突き」は出現していたと考えられる。
貝塚時代前3期中盤 4000年前 「蝶形骨器」
貝塚時代後1期中盤 1800年前 上層の貝符
こんどは、本土の仮面と黥のズレ(1600年)に対して、「蝶形骨器」と上層の貝符のズレは、1200年とやや近寄る。
これらの資料から考えれば、「蝶形骨器」のデザインは、下層の貝符に引き継がれる。上層の貝符は、むしろ「針突き」と結びついているように見える。
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