「蟹守考」(若尾五雄・中山太郎)
『珊瑚礁の思考』を書く段階で、若尾五雄の「蟹守考 地名から見た蟹」に気づいてなかったのはうかつだった(『金属・鬼・人柱その他 : 物質と技術のフォークロア』1985)。
若尾はここでとても面白いアプローチをしている。「蟹が蛇に勝話」は、「洪水の表現」ではないか。
蟹満寺に隣接する健稲田姫神社があるが、ここは天神側が山間部から出てくる突端にあたり、自然堤防になっている。その土質は、川によって山間部から運び出された粘土を含む河原砂だ。つまり、健稲田姫神社は山中と平野とのやや湾曲した場所で、天神側が押し出した土砂の堆積した上にできた神域である。
もうこれだけで、「健稲田姫神社」がかつての「あの世」に建てられたことが分かる。岸和田に伝わる古い伝承では、豊玉姫は沼町でお産をし、胞衣を九雙牛神というところへ舟に乗せて運び、埋めたという。これは、「九雙牛神」が「あの世」だったことを示している。
名古屋郊外の蟹江も水郷をなし、昔は「浮島」といった。ここからも「浮島」が「あの世」の島だったことが分かる。そして、ここが「蟹江」という名前に変わった。「蟹江」として聖域化された。つまり、生と死の分離の段階で、蟹は蛇に勝つ。このとき、不死のトーテムは駆逐されたということだ。
「奄美大島以南の島々にいうカネクは蟹江や綺田と同様な砂地または泥地で、村を造り得る低地をさしている」。これは、クソガニという名前の「カニ」の由来であるのかもしれない。
カニコロ、カニババは胎児の糞のこと。「つまり、この場合のカニは胞で、胎児を包むものである」。「カニを包と考えることは、蟹守の本質に深く根ざしたものがある」。
そしてこう続けている。
エナとはいかなる意味であろうか。漢字には「穢」、「女又衣(漢字が出ない)」という文字がある。穢はケガレであり、(女又衣)は破れた衣の意味である。胞衣が白不浄とされるのは白色の胞衣を不浄と見てのことであろうから、「穢(女又衣)」という熟語が成り立つとすれば、胎児が破った汚ない衣とは胞衣を表現するのには打ってつけの漢語である。
これはもちろん、そうでなない。胎児の糞をカニコロ、カニババと言うのを、人を蟹として見ていることを示すものに他ならない。
若尾は、蟹の抜け殻を、胞衣に当てはめて考えている。若尾のこの論考と同様、中山太郎の「蟹守土俗考」に気づかなかったのもうかつだった。中山は、対馬でお産の際、箒をつくり蟹を払った写本から、沖縄に今も残る、出産のときに蟹を這わせる風習が対馬国にもあったのではないか、としているが、その通りだ。ここで対馬と琉球弧はつながる。
「払蟹」を中山は、蟹を這わせることと理解しているが、それはその通りで、箒をつくったのは、お産の促進のためだ。
それにしても、戦後の民俗学者たちは、「穢れ」にアクセントを打ってものごとを解釈したがる。これは、高度経済成長を目の当たりにした心的ストレスなのではないだろうか。
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