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2016/04/16

「厠考-異界としての厠」(飯島吉晴)

 飯島吉晴の「厠考-異界としての厠」(『怪異の民俗学〈8〉境界』)。

 胞衣の埋め場所は、内と外の境に関係する。

これらの場所が次の子の誕生と結びついた、再生の場であることが考えられる。つまり、胞衣を此の世から異界に戻し(死)、再び生命をもたらしてもらう(再生)場所なのである。

 メモ。ここは言いようなのかもしれないが、ぼくはまだ、あの世へ返すと言うに留めておきたい気がする。

 「雪隠参り」は、岩手、新潟、福島、栃木、群馬、長野、山梨、埼玉、東京、神奈川、三重等で、「東日本に多い」。

そのとき赤子に檜傘、真綿帽子のほかオムツをかぶせたり、糞便を食べさせるまねをする所がある。

 メモ。檜傘、真綿帽子、オムツは胞衣の再現。糞便を食べさせる真似は、糞との同一視。

 飯島も書いている。

糞便と赤坊の同等性は精神分析学の文献で広く報告されているが、赤坊は糞便として生まれてくると想像されたのである。実際の分娩においても、産婦は出産と同時に脱糞することがよく見られるようだが、原初的な想像力では、腹にあるものが外に出てくるのは脱糞過程としか考えられないのである。このように、赤子は「糞便」と同一視されており、「雪隠参り」においては、社会的に「糞便」として新たに誕生するわけである。

 メモ。「原初的な想像力では、腹にあるものが外に出てくるのは脱糞過程としか考えられない」というより、子産みも脱糞も同じ霊力発現の表現であるということだ。

 雪隠参りの見られない西日本では、七夜の名づけ祝いが重視されている。

 雪隠参りは、赤子が此の世に社会的に再生する儀礼と考えることができ、厠はその媒介をなす場所と言える。

 「厠は境界領域として二つの世界を結びつける空間」。

 胞衣埋め 「便所」-「竈の後ろ」(琉球弧)
 宮参り   「便所]-「浜下り」(琉球弧)

 胞衣埋めの場合の「竈の後ろ」は、家屋内御嶽である「火の神」を通じた異界との境界。宮参りの場合の「浜下り」は、海の彼方の異界との境界。

 ここでは、「便所」と「竈の後ろ」と「浜」は等価になる。
 


 

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