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2016/04/23

「宮古島アラフ遺跡のシャコガイ製貝斧と利器」(江上幹幸)

 2003年12月、宮古島のアラフ遺跡で、シャコ貝製の貝斧が4点セットで出土した。4点がセットで出土したのは琉球弧初だった。これは、貝斧の埋納(デポ)遺構だったのだ。(「宮古島アラフ遺跡のシャコガイ製貝斧と利器―貝斧埋納遺構の考察を中心に」「南島考古26号」2007)

 アラフ遺跡は宮古島東の新城の浜辺にある砂丘遺跡。遺跡の後背地は標高約60mの急崖が取り巻き、琉球石灰岩の割れ目からは自然湧水が流れ出ている。前面の海は、裾礁に取り巻かれ、礁原(ヒシ)内側の幅500mにもわたる礁池(イノー)が広がり、格好の漁場になっている。砂丘の後背地には約5mの砂丘が形成され、海岸と平行に走る防潮林の内側に遺跡は立地。

 新城の浜は、奥行き200~300mの比較的広い面積の海岸低地と水源をもち、約1.2kmの長い砂浜と静かな礁池を抱いた入江だから、居住環境として適した条件を備えている。

 放射性炭素年代。

 第Ⅲ層 AD.80年
 第Ⅴ層 BC.355年、BC.390年
 第Ⅶ層 BC.900年

 生活痕は、第Ⅲ層から第Ⅶ層にかけてみられるから、AD.80年~BC.900年(2916年~1935年前)。貝塚時代前5期から後1期中盤に相当。約1000年にわたり長期に住み続けた場所。

 調査チームは、貝斧の埋納遺構を見つける。

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 4点の貝斧は、刃部を同方向に向けて扇状に並べられている。最下部に配置さえたNo.2(13cm)のみは殻表側を上に、その他は殻内側を上にしている。No.2に接して右側が寄りかかって立てるように、No.3(13.7cm)がある。さらに右側に、No.3に乗る状態で、No.4(11.5cm)が置かれている。最も長いNo.1(16.2cm)は、No.2の左側に、やや角度を変えて、No.2の斜め上に交差するように乗る。際立って特徴的なのは、No.3の刃部に立てかけ、No.4の刃部を包み込むようにして全長7cmの枝サンゴ(ミドリイシ属)が置かれていることだ。

 長さは不揃いであるにもかかわらず、基部の頂点は、同じ円周上に弧状に揃っていて、もう1点のNo.1の基部頂点も3点と同じ円弧上に乗っている。

 考古学者の江上幹幸はそこに円を見い出す。実際に円を描くと半径10cmの円内に収まる。江上はさらにそこに腐食消失した容器を幻視する。貝斧の配置された高さはまちまちだから、平板な容器ではなく、深さを持った深鉢状の容器だろう。実際、直径20cmの籠に入れてみたら、ぴったり収まった。

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4点の貝斧は、植物製の籠あるいは浅鉢形木製容器のような、ある程度の深さを持つ円形の容器に収納されていたことがほぼ明確である。

 かつ、

枝サンゴは新鮮な個体であることから、生きていた美しい色をした枝サンゴの一部を折り取って採集し、展示したものと考えられる。

 さらに、

 4点の貝斧のうち並んだ3点の貝斧の刃縁が揃えられ、2点の貝斧の刃部に接するように枝サンゴが配置されていることから、単に容器に収納しただけとは考え難く、また地表に置かれたまま、当時の形態を保持することも考えられないことから、意識的に砂中に埋納したデポ「貝斧埋納遺構」であると判断した。

 江上は、埋納された状況にも推定を及ぼしている。

 4点の貝斧は刃こぼれを再調整した痕跡がないことから、これらが使用後であることは明確である。道具の形態が異なれば当然機能も異なり、これを敷衍して言えば、4点のセットがそろえば一連の作業を完了でき、何らかが製作可能であると解釈できる。これらから推測すると、何らかの作業おそらく丸木舟の製作が終了し完了した後に、供養の目的で枝サンゴを供えて儀礼的に一括埋納したという解釈が可能である。

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 No.1 丸ノミ型:刳(く)る(えぐる、くりぬく)。おそらくヒレジャコガイ
 No.2 平手斧型:平面を削る。オオジャコガイあるいはヒレナシジャコガイ
 No.3 丸手斧型:湾曲を削る。オオジャコガイあるいはヒレナシジャコガイ
 No.4 手斧:切る・削る

 4点の着装模式図。

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 4点の使用度を見てみる。

 No.1 ほぼ自然形状のまま。刃部は研磨して滑らかであるが附刃はされていない。
 No.2 刃部に大きな欠損があるが、再調整されて研磨により滑らかになっている。長期にわたって使用された。
 No.3 刃部。刃縁中央部に打撃を受けた大きな欠損が見られる。道具にとって致命的な欠損であるが再調整されておらず、最終使用した後のある役目を終えた道具。
 No.4 磨り減った偏刃であり、磨り減った部分には欠損が見られる。右利きの人間が繰り返し使用した。刃部にやや大きな欠損がある。研磨して使用した可能性もあるが、欠損面は新鮮であり、最終使用後は調整されていないと判断できる。

 そうすると、こうなる。枝サンゴが添えられているのは、欠損部に対してなのだ。

 「貝斧は製作に莫大の努力を要する物」。

 造船用の手斧を供養する例として、江上は、インドネシア、レンバタ島ラマレラ村の儀礼を参照している。

 儀礼パウ・ソルナカ。パウ:食べ物を与える、ソル:樹皮剥き用道具、ナカ:手斧。造船道具に食べ物を与える。

 具体的には儀礼用に保管している漁獲物オニイトマキエイ(マンタ)の左鮨先端を添えて一箇所に祭る。

 これは素晴らしい報告だ。

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