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2016/04/18

脱皮と糞まみれ

 台湾の先住民、タイヤル族の神話。

 昔珍しい男があった。祖先等に向って云うよう、「私に糞を塗ってくれないか、若し快く願いを容れてくれるならば、汝等は死ぬことはなく、たとえば蛇の皮が剥げて何時も若いように決して老衰することはなかろう」と。社人らは糞を塗る位は易いことだと毎日代わるがわる塗った。最初は面白半分であったが、何時しか一人減り二人減り、数月ならぬうちにはや約束を破ったから、かの男は大いに怒って、意気地なき等奴よと罵りながら自ら糞溜の中に飛び込んで死んだ。その日から人々の命は縮まったのである。(『生蕃伝説集』1923)。

 ここでは糞にまみれることが脱皮と同義であることが示されている。「糞」が霊力の表現としての意味を弱められたところで、死は始まる。

 脱皮は子が生まれることの比喩であるとすれば、(子産み)=(脱皮)になる。また、この神話では、(脱皮)=(糞まみれ)となっている。すると、(子産み)=(糞まみれ)であることを示している。これは、アイヌの赤ちゃんがテーネプ・テンネプ(汚物まみれ)と同じだ。つまり、糞と子が同一視される思考は不死の段階に届く古い淵源を持っている。
 

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