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2016/03/04

『呼び覚まされる 霊性の震災学』

 第2章では、「追悼」でも「教訓」でもない「記憶」型と名づけられた慰霊碑が紹介されている。

 閖中の遺族会では、「子どもたちが生きていた証しを残したい」という目的が共有されていた。慰霊碑の周りには、献花台や焼香台を設けない。

「子供たちは神様じゃないから、拝んでもらう必要はない」。

 追悼型の慰霊碑が保存するのは亡くなったという事実であり、教訓型は災害を後世に語り継ぐという役割を果す。しかし、記憶型の慰霊碑が保存するのは、「子どもたちが生きていたという事実そのもの」だ。わが子を記憶し続けるために建てられる慰霊碑だ。

「慰霊碑が誰も近づくことがないただの冷たい石になって、子どもたちが寂しくならないように、人の集う場所を設けたくて開所することに決めた」
「形としてわが子の名前が存在する場所だし、中学生の子どもにとっては楽しい思い出がある拠り所だと思うの。だから遊びにも来ているだろうし、わが子に会える場所」

 この章の著者の菅原優は、「追憶」の霊魂観は、祖先崇拝と慰められた霊魂が霊性を獲得して守護神化する側面を挙げている。これに対して記憶型は、死者を祀り上げるのではなく、「わが子を抱きしめるような感覚」が存在している。

 記憶型の慰霊碑の前で、遺族はまるで生身の人間に語りかえるような言葉をなげかけ、そして抱きしめる。菅原は、この旧閖中の慰霊碑は、これから主流化していくべき「慰霊碑の理念型」を示していると書いている。

 『珊瑚礁の思考』で考えてきたことからいえば、記憶型の慰霊碑というのは、生と死の分離以前の移行の段階に戻っていく印象を受ける。これは祖先崇拝の解体の現われではないだろうか。

 宮城県山元町では、墓やそこに埋められているはずの骨まで根こそぎ、津波で流されてしまった。だから、墓は移転せざるをえない。しかし、慰霊碑は、元の墓のあった場所に建てられた。この場合の慰霊碑への態度は次の言葉から読み取れる。

「ご先祖様のすみかは徳本寺の中浜新墓地に移ったんですよ、という思いで(千年塔に)手を合わせるのがいいのかなと思うんですよ」

 ここでは墓と「あの世」が逆転する関係になっている。千年塔という慰霊碑が墓であり、移転し墓が「あの世」という。でもここにも、死者を死者として扱う仕草が見えてくる。

 この章の著者の斎藤源は、埋め墓(ウメバカ)と詣り墓(マイリバカ)という両墓制の概念を引いている。民俗学では、墓を二つにする大きな理由として、死穢忌避の観念が挙げられる。けれど、千年塔のあり方を見た斎藤は、こう結んでいる。

二つのお墓があるからこそ、両方をお参りして安心することが可能になったのである。即断するわけにはいかないがこれらの知見から考えられる可能性として、両墓制は従来より、先祖の霊魂に対する人びとの心情、身の丈に合わせることができる柔軟性を持ったお墓の型といえるのではないだろうか。

 これもぼくたちの視点からいえば、両墓制の発生は、死穢ではなく、生者と死者の生きる世界を区別した段階で生れた。死者は、特定の「あの世」へ行く。その観念が、「埋め墓」と「詣り墓」の二重性を生む母体になっている。こう捉えれば、「詣り墓」も、かつての「あの世」の名残りなのかもしれない。

 驚くことに、ここでも生と死が、分離ではなく、移行として捉えられた段階への回帰が見られる。

 それは、死が露出したから出来事から呼び覚まされた感覚なのかもしれない。あるいは、そういう時代に移行しつつあることのシグナルなのかもしれない。『珊瑚礁の思考』と不思議なシンクロがあって、印象に残る本だ。

 

『呼び覚まされる 霊性の震災学』


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