「干瀬の人生」(柳田國男)
干瀬はさながら一条の練絹のごとく、白波の帯をもって島を取巻き、海の瑠璃色の濃淡を劃している。月夜などにも遠くから光って見える。雨が降ると潮曇りがここでぼかされて、無限の雨の色と続いてしまう。首里の王城の岡を降る路などは、西に慶良間の島々に面して、はるばると干瀬の景を見下している。虹がこの海に橋を渡す朝などがもしあった、今でも我々は綿津見の宮の昔話を信じたであろう。(柳田国男「干瀬の人生」)
サンゴ礁の海は、なぜこうもわたしたちの心を捉えて離さないのだろう。それは単に、美しい海というだけではない。「海の畑」と言われるように海の幸を届けてくれるというだけでもない。「干瀬を、海上に広がる珊瑚礁にすぎないと見てしまえば、琉球の文化はわかりにくい」(『柳田國男と琉球』)と酒井卯作は書くけれど、それは確かに、「美しい海」という以上の何か、「海の畑」以上の何かであり、それはきっと本土ヤポネシアの森に匹敵する大きさを持っている。
サンゴ礁、と言葉を繰り出すだけで、もういささか我を忘れてこの世ならざるところへ心を移すような心持ちになるのはなぜだろう。それを掴みとるのに、現在のサンゴ礁が形成された6000~4000年前の島人を訪ねてみよう。
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