「波照間の村と井戸のつながり」(朝岡康二)
朝岡康二は「波照間の村と井戸のつながり」(『村が語る沖縄の歴史 歴博フォーラム「再発見・八重山の村」の記録』)のなかで、スクについて触れている。「明らかな遺物・遺跡をともなわない「むら」」として。
「八重山の考古学では、琉球王府支配以前に存在したと考える集落を、「スク村」として把握している」。「「スク」がつくワーは、伝説的な英雄の居住地であった」。
「スク」とは「底」あるいは「元」といった意味であろうから、住民が島のもっとも古い屋敷跡であるとみなしている、と考えてよいであろう。そのうえで、「アスクワー」「ミスクワー」「ブスクワー」のように、各集落の御嶽として公的な祭祀対象となったものと、「ミスク村」や「マスク村」のように、ワーにはならず、集落跡として記憶されているものにわけられる。
しかし、ワーになっていくなても、村の女性に、「マスク」村跡のことを聞くと、「恐れ多いところ、神さまのいるところ」といって、「必要なとき以外には、むやみに立ち入るものでない」と語ってくれた。
ここから窺えるのは、御嶽が「置き換えられたあの世」であってみれば、御嶽に置き換えられなかった「マスク村」跡は、そのままマスク村の「あの世」とみなされたことを意味している。
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