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2016/03/22

おのころ島と淡路島 3

 「おのころ島」と淡路島について、もう少し正確にしてみる。

Photo_3


 生と死の「区別」の段階では、神話は、「あの世」との境界部から、はじめにトーテムが出現し、次に人間が出現する。生と死が分離されると、かつての「あの世」の地から文化が発祥する。

 こうだとして、日本神話のそこからの変形を読み取ると、まず、イザナギとイザナミという二神が介在している。「おのころ島」は二神が関与するとはいえ生むわけではなく、「潮が自ら、凝てできた」という意味の通り、地形が生成された原型はあまり損なわれていない。

 イザナミがまず生む「水蛭子」はトーテムが解体され、次に生む「淡嶋」は、人間が擬島化されている。そして「水蛭子」は、葦舟に入れて流され、「淡嶋」も子としてはカウントされない。つまり、この淡路島の島人にとっての神話は否定される。

 生と死が分離されると、「あの世」は遠隔化されるので、生と死の区別の段階の「あの世」はかつての「あの世」の地として聖地の意味のみを残し、文化の発祥地として言われるようになる。日本の神話では、淡路島の島人にっての神話をそれ以上語らないので、「おのころ島」が「あの世」との境界であり、かつ「あの世」そのものと見なされたか、「あの世」との境界であり、「あの世」自体は、山や友ヶ島や沼島を示していたかは分からない。あるいは、「おのころ島」は「あの世」の島であって、境界部の方が変形をこうむったのかもしれない。

 淡路島の島人にっての神話の変形は生と死の区別の段階までで、神話は次に、対岸の大和朝廷勢力のものに接ぎ木される。逆に、対岸の勢力にとっての生と死の区別の段階の神話は語られない。そして、淡路島が文化の発祥という意味は、淡路島をはじめに、次々に国(島)生みされるというように変形されている。つまり、対岸の勢力にとっては、「淡路島」が「あの世」の島だったわけだ。

 区別の段階の島人にとっての神話を、分離の段階の大和朝廷勢力の神話に接ぎ木した箇所が、接合面であり、大和朝廷勢力の行った作為になる。

 淡路島の島人が、変形される前の神話の原形を取り戻せたらいいのだと思う。

 cf.「おのころ島と淡路島 1」「おのころ島と淡路島 2」


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