赤と白-赤碕と寺埼 2
赤碕と寺崎について、久しぶりに考えてみる。
寺崎については、村山七郎が、ジャワ語 sila[光線]、フィージ語 zila[(天体が)輝く]、サモア語 u|ila(「いなづま)」に対応させるように、南島の祖語として*t'ilak(「光線」)を導き、そこからティラ-ティダを祖語として、それが「白」につながるとして、「輝かしいこと、ひかり輝くこと、光」という意味を想定したのが妥当だと思える。
実際、日中の寺崎の浜は、目が痛くなるほどまぶしくなる。砂の粒がきめ細かいのだ。
辺戸の岬を東側に廻ると、奥集落に注ぐ奥川が流れているが、その上流にアラマタ・アハマタと呼ばれる支流がある。また、奥集落の湾入を囲む岬はアカサキ(赤碕)と呼ばれ、海からあがってくる神の足だまりの浜である。アラ、アハ、アカは、ともに海神にかかわりをもつ地名である。アラマタは源河川の支流アラマタガーとも通ずるであろう。(『南島文学論』)
この地形上の特徴をみると、赤碕の「赤」は色ではなく、結局オー系の地名と見なしてよいように思える。要するに中空にある埼だ。
この周辺にある奥、安田、安波、安部赤碕は、すべてこの系列にある地名ではないだろうか。外間守善は、これらをアラ神に結びつけ、それだけはく、稲作と北方からの南下を結びつけた。こうした過剰な意味は、いちど脱色されなければならないと思える。
ただ、考えなければいけないのは、与論の赤碕も国頭の赤碕も、東に位置していることだ。崎山理が言うように、「赤」が「昇り」を語源にしているとすれば、日の昇る埼を意味する可能性もある。
cf.「赤と白-赤碕と寺崎」
外間守善『南島文学論』
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コメント
「アカ」に関しては同意見です。
『沖縄古語大辞典』より示唆的なものを抽出
* あか(赤)・赤の意から転じて、美しい、立派なの意を表す美称辞
* あかあか(明か明か)・光線がよく入って明るいさま
* あかいた(赤板)・死者を乗せて運ぶ台
* あかぐち(赤口)・火の神は地上と他界の神々の間を連絡する役割を果たす
* あかしのろ・神女名
* あかね(赤根)・生命力のあふれた根。対語「しらね」
* あから(赤ら)・明るく照り輝くさまの美しさ
「テラ」が「アカ」の対語だとすれは、「照ら・輝ら」と解釈したほうが妥当でしょうか。「テルコ」は太陽神でしょうし、洞穴は西の海底から東の海底へ地下を移動中のティダに出会う入り口なのでしょう。
「シロ」も明るいさまの表現でしょうけど、気になるのは「アマミキヨ(アマミコ)」の対にもなっている「シルミキヨ(シルミコ)」で、「海見人/瀬戸見人」の可能性もありますね。
地名研究家の仲松弥秀は、阿嘉島(この島名も興味深い)の南に連なる複数の岩礁間をそれぞれ「◯◯シル」と呼ぶと書いていますね。「シル」は瀬戸の意でしょう。
しかし、与論の「シネリク」は不可解で、語源は別にあるでしょうか。「瀬戸」から「シネ」は発生しにくいですね。
投稿: 琉球松 | 2016/03/07 11:48
琉球松さん
「アカ」辞典、ありがとうございます。
シネリのn音が脱落すると、シリの音が得られる可能性がありますが、それではシル(瀬戸)との脈絡がつかないですね。でも、ここには何かありそうな気がします。
投稿: 喜山 | 2016/03/10 10:09