おのころ島と淡路島 1
生と死の移行と分離の段階では、神話はそれぞれ次のように語られる。
移行:Aから、トーテム、次に人間が出現する。
分離:Bから、文化Cが発祥する。
ここで、A=(移行の段階の「あの世」との境界)、B=(移行の段階の「あの世」)
琉球弧の場合、Aは「穴」、Bは、例えば「沖の島」、Cはたとえば、「五穀」になる。
ここで日本神話を見ると、『古事記』では、
イザナギとイザナミが天からの階段に立って矛をおろして海水を音を立ててかきまぜると、その矛のさきの海水がつもっておのころ島ができた。二神は降り立って性交をする。イザナミはまず水蛭子を生んで、葦舟で流す。次に淡島を生むが子のうちに入らない。
やり直しをして、最初に淡路の穂の狭別の島を生む。次々と八島を生む。
ことになっている。
これを見ると、前段と後段では、別の人々の神話が語られているように見える。「淡島」と「淡路の穂の狭別の島」の呼称の違いは、淡路島を見る位置の違いによるものではないだろうか。
前段は、淡路島の島人、後段は淡路島を「あの世」の島とした人々にとっての神話だ。かつ、神話の原形からいえば、前段は擬島化された人間、後段は擬人化された島になっている。
前段では、AとBは、「おのころ島」として同一化されている。この島が「潮が自ら、凝てできたという義」(松前健)と解されているのも、それを示している。そこで、
前段:「おのころ島」から、「水蛭子」、次に「淡島」が生まれる。「おのころ島」が発祥の地となる。
後段:Aから、トーテム、次に人間が出現する。「淡路島」をはじめに島が次々生まれる。
『古事記』は、前段の前半と、後段の後半を接ぎ木したものになっている。そして後段に接ぎ木する際、前段は否定されている。
「おのころ島」は、淡路島の島人にとっての「あの世」の島であり、そこでは境界も二重化されている。後段、つまり神話の主体者にとっての「あの世」の島は淡路島だ。
『日本書紀』の伝えでは、「おのころ島」を胞(え)として国生みが行なわれたとされたり、『古事記』、『日本書紀』の別の伝えでは、淡路島を胞として大八洲が生まれたとされたりするのは、この立場の二重性によるものだと思える。
松前健は、「国生み神話と淤能碁呂島」のなかで、「おのころ島」は実在の島であるとみなされ、議論されてきた位置として、「おのころ神社」のある「沼島」、修験の聖地として知られ、地先に神島もある友ヶ島(沖島)を取り上げ検討している。その上で、友ヶ島の沖島が最も古い伝承であったようにみえるとした。
これは、沼島でもあれば、友ヶ島(沖島)でもあるということだ。どちらも、それが望見できる場所に住んだ淡路島の島人にとっての「あの世」の島だったということだ。ついでにいえば、「友ヶ島(沖島)」の島人にとっての「あの世」の島は、神島だったと考えられる。特に友ヶ島(沖島)には、「深蛇池、蛇谷が住むと伝える神秘な池もあり」とされているので、そこがイザナギ、イザナミの出現地を示唆するのかもしれない。
松前は、南太平洋で語られる神が島を生んだという神話が、「原古の海洋の一巨岩から天地万物や人間が生まれて来るという話」であると解読し、「おのころ島」もこの「原古の岩」であると推定している。
オノゴロ島は、もともとこうした神話的な「原古の岩」であったから、実在の島の名ではなかったが、これが淡路の海人たちによって語られるに及んで、淡路附近のどこかの島に比定されるようになる。オノゴロ島が、女神自身の胞胎であるということから転じて、そこは単なる分娩の場であると考えられるようになると、胞胎はまた別の島が当てられる。時としては、淡路島自身がその女神の子生みの母胎として考えられるようになったが、また時としては、海上に浮かぶ隣接の友ヶ島の一島であるとか南の沼島であるとか考えるようにもなったのであろう。一書の幾つかの伝えに、このオノゴロ島が二尊による矛の海中撹拌以前にすでに海中にあった存在のように語られているのも、かえって古い形ではないかと考えられる。南洋の「原古の岩」もみなそうした存在として語られている。
「原古の岩」は、「おのころ島」そのものというより、「おのころ島」と「この世」との境界が「原古の岩」に当たっている。けれど、松前はとてもいい洞察をしていたのだと思える。
また、語られ方から分かるのは、神話のこの箇所は、生と死の分離以後の眼差しで書かれていることだ。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。




































コメント