「胞衣笑いの深層」(飯島吉晴)
飯島吉晴は、「胞衣笑いの深層-霊魂の交通」(『比較民俗研究』1994)のなかで、「胞衣笑い」は沖縄では民族事例が見られるが、本土では文献史料にしかない、としている。
胞衣を埋める場所は、間引いた子や死産児などを埋葬する場所と共通しており、家の内と外の境や世辻などこの世とあの世の象徴的な境界をなしていることが特徴になっている。
木下忠は、家屋の敷居や戸口に胞衣を埋める習俗が縄文前期にまでさかのぼり、また胞衣を床下に埋める習俗や血忌み習俗は弥生文化と結びついて導入された可能性を示唆している。
胞衣はエナのほかイナやヨナとも呼ばれるが、これは米を意味するイネやヨネとも通じている。
ここから連想するのは、イノーは、砂州ユナの音韻転訛だということだ。ヨナは波照間島のように、「 -yunee 」と長母音化することはあるから、yuna → iuna → inau → ino:という転訛はありうるだろう。
ここで飯島は、胞衣を意味するイナやヨナと、米との関連を辿っているが、崎山理によれば、実際、ヨナは、ヨネへと転訛した。すると、
胞衣 - 米
とが同じであると考えられたことになる。飯島はこれを、「母の胎内で胞衣に包まれた胎児のように、外側を皮や殻で包まれているのである」としている。
米 → 胞衣(米は胞衣に似ている)
オーストロネシア語北上の流れからいえば、
砂州 → 米(砂は米に似ている)
となる。
琉球語では、胞衣は、イヤが一般的だが、イザ(宮古島狩俣)やアト(浜比嘉島)というところもある。奄美大島瀬戸内では、ヨナとも呼ばれている。(酒井卯作『琉球列島民俗語彙』)。
砂州を意味したヨナは、同時にサンゴ礁海であるイノーを指した。胞衣は同時に、ヨナとも呼ばれたとするなら、
砂州 - サンゴ礁海 - 胞衣 - 米
となる。胞衣(イヤ)という音は、大和からの言葉だとしたら、瀬戸内のヨナは古形を示しているのかもしれない。
胞衣を食べる風習も琉球で記されている。
林百介の書いた『立路随筆』には、「琉球国の胞衣 琉球国の婦人、産乳(子ヲ産児)すれば、必子衣(胞衣なり)を喰ふ」とある(百介の死は1743年と推定されるので、この記述は18世紀のものだと考えられる。笹森儀助の『南島探検』にも、「昔は沖縄の妊婦は、出産の時には必ず胞衣を喰い、火で温めて汗を出した」とあるという。
沖縄ではなぜ産婦が胞衣をたべたのか、はっきりとした理由はわからない。葬式で、長寿の死者を儀礼的に食う風習と関係があるのかもしれない。
と飯島は書いている。ぼくたちの眼からみれば、これは、母親の子を産む霊力の強化だ。また、多良間島では、祖先とみなしたシャコ貝とカラムシを使って胞衣を埋めたことを考えれば、子が再びめぐってくることを意味しているのだと思える。
※ところで、笹森儀助の『南嶋探験』を、何度かめくっているのだが、飯島のいう記述を見つけられない。またしても、出典元不明の悩みだ。
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