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2016/02/15

久高島と淡路島

 鈴木宏昌は、「古代の難波」のなかで書いている。

 沖縄では本土の常世や竜宮に該当する異郷をニライカナイと呼んでいる。第一尚氏の場合は、その本拠地が東南の方角に海をいただく佐敷にあったことから、ニライカナイは太陽の昇る東方の海の彼方にあると信じられ、ニライカナイは祖先紳の住む根所とも、太陽の生まれ出る根所であるとも考えられた。そして、そのニライカナイの方向にあるのが久高島で、ニライカナイに坐す祖先神や太陽神は久高島を足留りとして来訪すると考えられた。琉球の神話に久高島が創世神アマミキョの最初の渡来地とされ、穀物の種が漂着した農業発祥の地とされるのも、そうした信仰に基づいていよう。

 いま、久高島の位相変換を下記のように書いてみる。

 F あの世(カミの島):F 始原(ニーラスク)=F あの世(ニライカナイ):F カミの島-1(農業発祥)

 つまり、「ニライカナイは祖先紳の住む根所とも、太陽の生まれ出る根所であるとも考えられ」る前は、久高島が始原を担う「根所」であったが、ニライカナイが誕生すると、それは「太陽の生まれ出る根所」という意味を加え、久高島からは、始原の意味は後退して、「農業発祥」の地などと言われるようになる。しかし、久高島は「神の島」として、この変換にも抗っているとも言える。

 さて、本稿では、このような沖縄の信仰を念頭に置きながら、日本の古代、とりわけ難波に王朝が置かれた時代のことを考えてみたい。わたしは、琉球王朝における久高島に相当するのが日本の古代においては淡路島であったと考えている。久高島が太陽の昇る東方に位置しているのに対して、淡路島は難波の西方に位置しているというように方角の違いはあるが、淡路島も久高と同様に、太陽の霊力の宿る島、海の彼方の常世に通じる聖なる島と考えられた節がある(後略)。

 この鈴木説にしたがえば、淡路島は、かつて「あの世」の島だったのだ。そこでは、淡路島を胞衣として島々が生れたという伝承があるという。

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