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2016/02/20

「奄美諸島の神山」(小野重朗)

 小野重朗の『南島の祭り』(1994)に挙げられている例に従って、山としての地上の他界の様相を見てみる。

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 (遠隔化された他界)→(かつての他界)→(集落)

・上記の神の行路が確かめられるのは、請島池地(#1)の例のみ。

・請島請阿室(#5)では、(オガミヤマ→ミヤ)となっていて、モリヤマも聖地として恐れられているから、オガミヤマは遠隔化された他界かもしれない。この場合、モリヤマという通過点は省略されたと見なさなくてはならない。

・奄美大島大和戸円(#6)では、タカモリヤマ→ミヤへのカミミチという名称のみが残っている。これは、(かつての他界)→(集落)の名残りかもしれない。

・加計呂麻島瀬相(#10)では、モリヤマからもオボツヤマからも行路が存在する。これは、(かつての他界)→(集落)と(遠隔化された他界)→(集落)を示す可能性がある。

・加計呂麻島嘉入(#11)では、海からのネリヤ神のウムケーとオボツヤマからのウムケーが対応しているので、ここでのオボツヤマは遠隔化された他界に対応させることができる。

・奄美大島瀬戸内油井(#12)と奄美大島宇検田検(#13)では、油井岳と湯湾岳が遠隔化された他界に対応しているように見える。

 モリヤマ、オボツヤマは地勢名、オガミヤマは機能名であり、名称から一義的に決められないが、モリヤマは、かつての他界、オボツヤマは遠隔化された他界の色合いを持っているように見える。

 これだけの判断をしておいて、小野の考察に照らしてみる。

 モリヤマの性格について、小野は書いている。

 だから、モリヤマのノロなどの古墓があることは、モリヤマが葬地、墓地だということではなくて、ノロのようなえらい、または威のある人だからモリに葬り、墓を作ったということであろう。奄美のモリヤマに限らず、九州本土をはじめ日本の森山に関わることでもあるが、「すぐれた人や祖先を葬った墓所だから森山は聖地である」のか「森山は聖地だからすぐれた人や祖先をそこに葬った例がある」のかという重大な問題がある。前者のように、先祖の墓地だから聖地であるというのは明快な解釈ではあるけれども、多くの森山、森をみてきた限りでは無理な定義づけのように思う。
 先の伝承にみられるような、山の神の来訪につながる信仰を母胎としてモリヤマの信仰はまず成立し、そこに神人などを葬る第二の伝承が付け加わったものと思われる。

 森山が聖地なのは、「すぐれた人や祖先を葬った墓所だから」ではなく、森山がかつての他界だったからである。だから、そこにノロの墓を置くのは、御嶽が置き換えられたあの世であるのと同じく、かつての他界の封印の一種だと思える。

 小野によれば、オガミヤマや、モリヤマ、オボツヤマと対応している。オガミヤマは、モリヤマに比べて少ないが、全島的に存在している。

 奄美大島竜郷嘉渡(#7)では、「オガミヤマが集落を代表する家の守護神、氏神に近いものとなり、集落の神人たちの祭場となっている。オガミヤマという名称はおそらく、神人たちが拝む山、祈願をする山という意味であろう」。

 モリヤマは集落の近くにありながら、その中で集落祭祀が行われたという伝承は聞かれない。モリヤマから神が下ってきて人々に働きかけることはあっても、集落の神人、ましてや人々がモリヤマの中に入って祭りをしたり、願いごとをしたりすることはほとんど聞かれない。モリヤマは恐ろしい所だとする伝承が強いのである。モリヤマとオガミヤマとの相違で最も重要なのはこの点であろう。

 小野はこの後、オガミヤマと沖永良部や与論のオガンとの相似や沖縄の御嶽との相似を指摘し、奄美のオガミヤマと国頭の山としての御嶽(オガン)を、オガン(御嶽)の古い形だと見なしている。

 この小野の考察からは、モリヤマが、「かつての他界」であることがより明確になるように思える。しかし、オガミヤマは御嶽の古形ではなく、位相同型だと思える。たとえば、与論でオガミヤマがないのは、山がないからだと言えて、そこに古い形は求めようもない。強いていえば、御嶽は場としての象徴化が進んでいることだ。

 モリヤマ(かつての他界) カミヤマ(御嶽) オボツヤマ、カミヤマ(遠隔化された他界)

 ここではのところでは、こう位置づけられる。

 オボツヤマの分布には、奄美大島南部と加計呂麻島西部という強い傾向が見られる。よく指摘されるように、オボツヤマは琉球王朝のオボツ・カグラ信仰と結びつけられる。そういう政治的な側面は持つが、オボツという地名自体は、古いものだから、むしろオガミヤマが、置き換えられたオボツヤマである可能性を持つと思える。

(前略)姿ある神として鉦を打ちながら山を下る神は、モリヤマ、オガミヤマ、オボツヤマのような古い神山に共通する民俗伝承であって、このことは、これらの神山が系譜的につながりを持っていること、基本的には山の神文化を祖型としていることを教えるものと思われる。

 モリヤマ、オガミヤマ、オボツヤマが系譜的につながるのは、それが「かつての他界」か「遠隔化された他界」かに依るものだ。

 これらオボツヤマから下ってくる姿或る神とは別に、オボツヤマにはオボツ神がいるという伝承が鮮明にある。このオボツ神は姿ある神としてではないが、オボツヤマから招かれて集落を訪れ、再びオボツヤマに帰っていく。

 一方、神女には、オボツ(イ)ガミ、テルコイガミ、モリヤマイガミという役名が、大和村や加計呂麻島で聞かれる。これは、単にオボツ神を迎えて接待するだけではなく、オボツ神となって行動することを意味している。「新しい神観念であり、神女観念である」。

 油井岳や湯湾岳は、いくつもの集落のオボツヤマになっている。

おそらく加計呂麻島の場合のような、集落ごとの、集落に近いオボツヤマが古形であり、それがだんだんと遠く高いオボツヤマに展開したものと思われる。また沖縄の古謡集『おもろさうし』に登場するオボツ嶽は天上界の嶽の名となっている。すなわち、オボツは集落に近い山上からしだいに遠く高くなって、ついには天上界にまで抽象化されたことがわかる。

 オボツが高くなっていったのではなく、他界が遠隔化されていったのだ。その山が、オボツと呼ばれていたのである。

 オボツヤマは分布図を示した奄美大島を除いては奄美の他の島々はもとより沖縄にもなく、古謡のなかにオボツタケ、オボツヤマという天上界の信仰上の山がみられるだけである。奄美のオボツヤマが南島のオボツ・カグラ信仰に由来することは明らかであるが、そのオボツの語意さえなお定かではない。オボツ信仰の発展とともに、オボツは山の頂からさらに天上界にまで及んだ。しかし、オボツの原形はやはり山であって、現実の山をオボツとする奄美大島のオボツ信仰はこの信仰の原点を示しているといえよう。

 「オボツの原形はやはり山」であって、天上ではない、というのはその通りだ。

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