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2016/02/12

スクの予祝としての「笑い」

 嘉味田宗栄によると、久米島の儀間集落の東方アーラという霊地に向かう途中、海に面してアメーヌサチというちょっとした埼がある。

 霊地アーラへの途中、アメーヌ埼にさしかかると、神女たちの一行は立ち止まり、小石を海中に投げて、「スクドーイ」(スクという魚の神さまのおかげで寄ってきているぞ)と連呼し高笑いをつづけるという。

 これを嘉味田は予祝と解している。

神のめぐみの寄りものつきものとしてのスクという魚が、その年、きっとよってくるようにとの予祝としての呪的行為である。「笑う門には福来る」という諺はどことなく儒教的な就寝の臭みはあっても、どこかで、この古い信仰習俗と重なっている。(『琉球文学序説』1979)

 アメーヌ埼の次のティーというところには、スク石がある。(『琉球文学発想論』嘉味田宗栄、1968)

 「アメー」は「あまえ」で、「笑い」を意味する。アメーヌ埼とは、「笑いの埼」のことだ。

 ここでの高笑いは、予祝に違いなくても、「世」の霊力を現出させる呪的行為なのだと思う。ふだんは混じり合っていないものを交流させるのだ。

 一方、宮城幸吉は、稲穂祭の際、アーラ浜のヤルイに行って神祭りをした後に、儀間へ帰る途中、ティーの浜に行く。

そこには半分海水に入り、半分は砂浜に横たわる大きな黒石(安山岩)がある。この岩を「ヒシク石」(久米島ではスクをヒシクという)。この岩に向かってノロを始め全神女が、ヒシクをたくさん寄らして下さいと祈願する。神女達が祈願のウムイをうたって終ると、後に立っている男や子供達にも大きな声で、「ヒシク寄(ユ)ティクーヨー」と大きな声で叫ぶようにさせる(「スクおよびスクガラスについて(<特集>イノーの民俗)」「民俗文化」1990)。

 ここでは「高笑い」は「大声」に変わっている。場所は、「アメーヌサチ」ではなく、隣りの「ティーの浜」になり、「アーラ」へ向かう途中ではなく、「アーラ」からの帰りになっている。宮城の報告は、嘉味田の後だから、嘉味田の報告内容の方が元の姿なのかもしれない。

 ヒシク石が、砂浜に接し海水に浸っているのは気にかかる。これは、スクの化身と見られていたのではないだろうか。

 嘉味田は、久米島では、出産の日に隣り近所の子供たちを集めて高笑いさせたという習俗のことも書いている。


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