『酒とシャーマン』(吉成直樹) 2
吉成直樹の「しけ」に対する考察が、面白い。
15-1069(18)
きみがなしが節
一 伊祖の戦思い
月の数 遊び立ち
十百度 若てだ 栄せ
又 意地気戦思い
又 夏は しけち 盛る
又 冬は 御酒 盛る
一ゑそのいくさもい
月のかす あすひたち
ともゝと わかてた はやせ
又 いちへきいくさもい
又 なつは しけち もる
又 ふよは 御さけ もる
この言葉は「しけ-ち」と分けられます。みき(御酒)などの酒を意味する「き」は「ち」に変化しますから、「しけ-ち」の「ち」は「酒」を意味する「き」に違いありません。
これは音韻の変化を見ても言いえる(sike-miki → sikeiki → siketi)。
この「しけ」は何を意味するのか。吉成は、トカラ列島で神がかりすることを「しけがくる」と表現していることに結び付けている。
神がかりすることは、精神状態が普通の状態から別の次元へと転移することと考えられます。酒を飲むことも同じです。酒を「しけ-ち」というのは、酒を飲むことによって、精神がそうした転移をもたらすことから、「しけ」という言葉を付したのではないでしょうか。
これは的を射ていると思う。そして、夏の「しけち」、冬の「御酒」という区別は目を引く。意識の変性状態を生み出す季節として夏が考えられているように見える。
「しけ」には「聖域」の意味もあるらしい。
聖所。神の在所。対馬、穢れを嫌い、人の住むことの許されない聖地をシゲという(宮本常一・忘れられた日本人)が、これと関わるか。「しけ」は慣用化するうち「しけ~」で、「聖なる」の意が美称辞として使われるようになる。(『沖縄古語大辞典』)
しかし、吉成は、「おもろそうし」で、「しけ」が聖地として単独で用いられることはなく、「しけうち」「しけち」「しけつ」「しけす」とあるのを明らかにしている。
「しけ」は聖地を指す言葉ではなく、「しけち」「しけつ」「しけす」が神がかりを意味する「しけ」にかかわる聖地だったのではないでしょうか。
これもとても妥当な見解だと思う。「しけ」の意味は他にもある。
しらしよきなわが節
10-543(33)
一 聞ゑ鬼の君
ゑ やれ しく しけ
掛けて 漕がせ
(後略)
一 きこゑおにのきみ
ゑ やれ しく しけ
かけて こかせ
(後略)
従来の役を退けて、「ゑ やれ」という漕ぎ手の掛け声が、「荒れた海(しく、しけ)」に対して向けられていると解している。
このおもろの「しく」も、ひょっとして「荒れた海」を指しているのではないでしょうか。そう考えますと「しけ」は今でも使用されている意味の通り、「しく」と同じく「荒れた海」ととることができます。
しけ
1.海が荒れること
2.神がかること(しけがくる)
3.「しけつ」などで、聖地
4.「しけち」で意識の変性状態を生む酒
この「しけ」の意味の根源は、「「世」の霊力があらわれる」ということになると思う。
『酒とシャーマン』は、コンパクトで吉成も努めて分かりやすく書いているが、ヒントの詰まった、たまらなく魅力的な本だ。(cf.「『酒とシャーマン―「おもろさうし」を読む』とナ行音の前の撥音化」)
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