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2016/02/29

足掛かりとしての木山島 2

 木山島についての、ヨーゼフ・クライナーの記述。

 東の方で海の彼方にある極楽は加計呂麻島でネリヤカナヤまたはテルコとも呼ばれて、稲そのほかの農作物の種をはじめ、火などの文化の宝物が来た所で、毎朝太陽が出るアガルイという国と同じである。阿多地ではこういった奄美のどこにも残っている伝説のほかに、オホリ祭のとき加計呂麻島南海岸の各部落から神々の船が出発し、全部請島の東方にある無人島木山島に集まって泊まり、その翌日マツニシ(北北東)の風で東南方の海に及ぶネリヤ島に帰るという伝説が伝わっている(武名・花富と与路にも同じ伝説がある。)(「加計呂麻島ノロ信仰覚書」「奄美郷土研究会報」8号 1966)

 やっと出会ったクライナーの文章が、これまでの記述ではもっとも具体性があって信憑性がある。ので、マッピングしておこう。

 cf.「足掛かりとしての木山島」


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