ソロモン諸島の半魚人イメージ
ソロモン諸島では、カツオは食物として高い価値を持つだけではなく、超自然的な属性を持つ。
たとえばソロモン諸島の海の霊は、半人半魚の形をしているとイメージされている。その頭はカツオの形をしている(Codrington, 1972).(『海洋民族学』)
コドリントンは、「The Melanesians : studies in their anthropology and folklore」のなかで書いている。
南東ソロモン諸島では、海に出没する死霊(ghost)は、人々の想像力を捉えていて、彼らは、それを描いたり彫刻したりするのを好む。見ると、死霊(ghost)がどのように想像されているかよく分かる。(p.258)
として、島人が描いたイラストを紹介している。
よりフォーカスするために、コドリントンの先の記述を前後を含めてみる。
一般人の死体は海に投げ込まれるが、偉人の場合は埋葬される。頭蓋、歯、指の骨は取り出されて村の社に保存される。それゆえ、陸の死霊と海の死霊がいることになる。彼らは墓や遺物のあたりに出没し、話しているのが聞こえる。その姿は最近、死んだ者の形をしていて、声はうつろにささやいている。(中略)彼らは互いに霊的な武器で闘うと信じられている。(中略)南東ソロモン諸島では、海に出没する死霊(ghost)は、人々の想像力を捉えていて、彼らは、それを描いたり彫刻したりするのを好む。見ると、死霊(ghost)がどのように想像されているかよく分かる。(p.258)
海に出没する死霊(ghost)は、海による変化を受けていて、できるだけたくさんの魚で構成されている。槍や矢は、長い体長のダツやトビウオでできている。カヌー航海から戻る途中や岩釣りをした人が病気になると、それは海の死霊に打たれたからである。島人はアレカ・ナッツや食糧を波間に投げて死霊をなだめ、怒りは祈りでしずめられる。
鮫もまた霊魂を持っている。死ねば鮫になると予言した人の死霊が鮫のなかに入る。これらの島では、死の儀礼のときに、死者の分け前として火中に食糧を投げ入れる。偉人の場合は、木彫りに刻んで、舟庫に安置したり、死の儀礼の際、台上に安置して、そこに食物を手向けたりする。
こうしてみると、「海の霊」、「半人半魚の形」、「その頭はカツオ」というのは、どれもコドリントンではなく、秋道智弥が解釈、判断したものだと分かる。
こうした島人が描いたイラストを、秋道は、他にも紹介している。より秀逸なものを。
この絵は素晴らしい。しかし、出典元に表記している「半魚人(Rivers, 1968)」を手がかりに、それと思しきRiversの「The history of Melanesian society」に当たってみるが、この画像には出くわさない。
秋道は、同じイラストを『海から見た日本文化 (海と列島文化)』でも、『海人の民族学-サンゴ礁を超えて』でも紹介しているのだが、どれも出典元は書いていない。
最近、出典元不明に悩まされているが、こうなったら、直接、秋道さんに尋ねるしかないだろう。そういう機会があるといいのだが。
コドリントンは、死霊(ghost)と精霊(spirits)は区別すべきだと西洋人に説いた人だが、死者の霊が半魚人になるわけではないから、これを「海の霊」とする秋道の記述は、「海の死霊」というほうがより正確なのだと思う。島人が好んで描くというところには、彼らの転生信仰も寄与していると思える。可視化が進んでいるのだ。
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