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2016/01/27

『精霊の王』から琉球弧へ

 サソコのミシャグチ神。

 壺の中に閉じ籠もったまま川上から流れ着いた異常児が流れ着いたのが坂越(サコシ)。異常児の零体は、「胞衣荒神」となって猛威を振るう。宿神、荒神、胞衣。

 坂越(サコシ)の当地音は、シャクシ。シャクシ=シャクジ←ミシャグチ。サ行音+カ行音。

 ミシャグチ神は、石棒、石皿、自然石の丸石で表現される。ミシャグチのそばに胞衣。

 柳田國男の音韻論的還元。シャグジ=社宮司、石護神、石神、石神井、尺神、赤口神、杓子、三口神、佐久神、作神、守向神、守宮神

 「サ」行音は岬、坂、境、埼などのように、地形やものごとの先端部や境界部をあらわす古いことばに頻出する。この「サ」行音が「カ」行音と結びつくと、ものごとを塞ぎ、遮る「ソコ」などのことばにあらわされるような「境界性」を表現することばになる。ようするに、シャグジは空間やものごとの境界にかかわる霊威にかかわることばであり、神なのではないか。

 柳田國男の推論。芸能の徒の守り神が「宿神」と呼ばれたのは、もともと定住しなかったので、坂や断層の近くに住んだ。そこは境界性をあらわすサカやソコなどの「サ+ク」音の結合で呼ばれるところだった。そのために芸能者たちは「ソコ」や「スク」や「シュク」の人々とよばれるようになり、守護神も「シュク神」と呼ばれるようになったのではないか。道祖神ももともとは境界神の一種。

 石と樹木の組み合せで表現されるミシャグチ。それは、中心から排除された領域としての境界を意味するのではなく、まさに世界と生命の根源にあるものに触れている境界の皮膜を意味する。

 鹿の胎児は、「さご」と呼ばれる。「サ+ク」音であり、酒も「サ+ク」音。雌鹿は、胞衣に対応。

 荒神を鎮めたあとに建てられたのは大避(おおさけ)神社。大荒(おおさけ)、大酒とも呼ばれていた。

 一連の境界性や裂開性をしめす概念と結びつく。

異質な存在領域との間に通路を穿って、植物の霊と人間が自由にことばを交わし合う神話の空間を実現するメタモルフォーゼをの神である宿神=シャクジ。

 宿神、転換の神、翁。

 遠い海の果て、大地の底。

 そんなドリームタイム的ななりたちをしたニライの空間には「スク(底)」があって、そこを境界面として「現実」の世界に接触している。ニイル人たちは、その「スク」を渡って、人間の世界にあらわれてくる。

「宿神」や「シャクジ」の背後にも、それとよく似たマトリックス状の動きをはらんだ超空間が働いているのを、わたしたちはすでに何度も確認してきた。この超空間のことは、ニライのような概念ではっきりととらえられてはいない。しかし、そこには胞衣の保護膜によって守られた存在の胎児が夢見をまどろみ、はちきれんばかりの強度がみなぎり(その力は現実の世界にほとばしりでては荒神となり、発酵した液体に宿っては陽気と乱行を発散させる酒となる)、律動をはらみ、変化と変容へのはげしい衝動に突き動かされている。そこはまた生命と富の貯蔵庫でもあって、いっさいの「幸」や「福」はこの超空間からの贈与として、人間の世界に送り届けられるのである。

 ここまでは、引用と要約。

 この引用文の解説はほとんど珊瑚礁の海にあてはまる。まるで、珊瑚礁を説明されているみたいだ。胞衣としての珊瑚礁。


中沢新一 『精霊の王』


 

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