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2016/01/06

『珊瑚礁の思考』、刊行。

 文字を持たなかった時代の琉球弧の精神史、『珊瑚礁の思考』を出しました。

 琉球弧の「野生の科学(Wild Science)」を目指したものです。貝塚時代の南ヤポネシア像からは、本土の縄文時代との共通性も多く見い出せました。島人はもちろんですが、奄美や沖縄に行くと「あの世」と「この世」が近いと感じる方、日本の他界観の古層を知りたい方にも、ぜひ読んでほしいと思っています。ぼくも島について、「この世」と「あの世」がつながっていると感じてきましたが、その意味がやっと分かった気がしています。書き手としては、感想など聞かせていただけたら嬉しい限りです。

(しばらくこの記事をトップに表示させます。定期的に読んでいる方は、申し訳ないですが、日々の更新は下に表示されていますので、スクロールしてご覧ください。)

『珊瑚礁の思考 〔琉球弧から太平洋へ〕』

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◆目次構成

はじめに 「ネシア」の野生の精神史  

 文字を持たなかった時代へ  
 霊力思考と霊魂思考の編み物.  
 琉球弧からヤポネシアへ、太平洋のネシアへ  
 ざわめきに背中を押されて

第一部 円環する生と死

一.われらアマンの子-祖先

 アマンから生まれた
 アマン―人、人―アマン
 流動的エネルギーとしての霊力
 心を残しては語れない
 霊力思考
 化身
 霊魂思考
 身をやつした姿

二.蛇からアマンへ-脱皮

 蛇の位相
 脱皮つながり
 トーテムの関係図
 全ては身に起きたこと
 わたしはジュゴン

三.いずれ、生まれ変わる-再生

 トロブリアンドの再生
 琉球弧の再生
 アマンに見ていたもの
 母系社会と「をなり神」
 わたしたちの盲点
 兄妹始祖神話の位相
 再生と祖先崇拝
 食人(カニバリズム)思考

第二部 「あの世」と「霊魂」の成立

四.境界としての洞窟-風葬

 風葬とは何か
 骨の信仰
 「キャンプ地を去る」から「家を去らない」まで
 なぜ、去ったのか
 「死者」と「家」の同一視
 移行としての生と死
 もうひとつのあり方へ
 風葬の成立
 「喪屋」の発生
 境界モチーフの展開

五.包含するニライカナイ-他界

 二つのベクトル
 地上と地下
 洞窟を塞ぐ
 反転
 海上はるか彼方へ
 包含するニライカナイ
 厚い「移行」の層

六.マブイの成立と協奏-霊魂

 霊魂の成立
 霊魂の協奏
 マブイとセジ
 霊力思考と「こころ」
 霊魂思考と「あたま」
 病の三類型
 マブイ込め
 死の前後1・添い寝
 死の前後2・悪霊払い
 死の前後3・霊魂の除去
 死の三角形

七.クチとユタの原像-呪言

 唱えることは実現すること
 自然のイメージ的身体化
 呪言(クチ)の世界
 反復するイメージ的身体化
 原ユタ
 憑依型シャーマン
 生き残ったユタの可能性

第三部 生と死の分離を超えて

八.まれびとコンプレックス-珊瑚礁

 人間と植物の同一視
 反作用を繰り込む
 「女の作った御馳走」
 むしろ、もたらされる恵み
 人見知りの基層
 珊瑚礁の発生
 母なる珊瑚礁
 珊瑚礁の思考

九.仮面がつなぐ-来訪神

 希薄な死
 希薄な同性愛
 再生の変形
 来訪神の深度
 仮面は遡行する
 仮面の発生
 原仮面
 
一〇.人、神となりて-御嶽

 守護する頭蓋骨
 円環が破れる
 「御嶽の神」の出現
 置き換えられた「あの世」
 世界は変わってしまった
 生き神の出現
 神の変形
 島世

あとがき
 

『珊瑚礁の思考 〔琉球弧から太平洋へ〕』

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コメント

さっそくアマゾンで注文しました。

 「脱皮」は、琉球文化圏のキーワードの一つだと思いますね。
 蟹や海老、クバの木さえも蛇のように脱皮して再生するのでしょう。
 我々島んちゅの再生観念のストライクゾーンに迫る著としてワクワクしますね。

 一読して感想をコメントしたいと思います。

投稿: 琉球松 | 2016/01/06 10:34

琉球松さん、ありがとうございます。とても嬉しいです。

厚めの本なのが心苦しいですが、愉しんでもらえたらと思います。ご感想いただけるのもありがたいです。

投稿: 喜山 | 2016/01/06 16:39

『珊瑚礁の思考』届きました。

 まだ熟読したわけではないですが「アマン」はワクワクしますね。
 外間守善先生の著書と並べて読むと面白そうです。

 与論は国頭語圏の中心。。。喜山さんの着目点は貴重ですね。

投稿: 琉球松 | 2016/01/16 12:43

琉球松さん

ありがとうございます。アマンやシャコ貝やジュゴンの存在の大きさには目を見張らせるものがあります。琉球弧って巨大ですね。

投稿: 喜山 | 2016/01/17 09:25

 昨日は仕事が休みでしたので、南部の聖地「ヤハラツカサ」の浜で読んでみました。
 途中から雨になったので引き上げましたが、浜を徘徊するヤドカリを見ていると、神々の使いのように思えてきます。

 沖縄語圏で「アーマン」と呼んでいるヤドカリは「アーマンチュウ(アマミキヨ)」と発音がまったく同じですね。もしかすると奄美の方向からやって来た神々(人々)は宿を転々としながら沖縄諸島を目指したとの観念でしょうか?
 アーマンは海から上がり殻を脱ぎ捨て(再生?)ながら歩くわけですから、島人の記憶を投影させる絶好の対象だったかもしれません。
 「アマン」と「アマミ」の語源が同じだとすれば、やはりキーワードは海でしょうかね。

投稿: 琉球松 | 2016/01/22 15:04

琉球松さん

最高の環境ですね。ぼくもそんな風に本を読んでみたいです。

アーマンは、小さいのにほんとにたくさんの連想を許してくれますね。アマは、海、天、水とこれまた広がっていきますよね。

投稿: 喜山 | 2016/01/24 08:45

 高校生の頃まで、蝶の採集を趣味としていましたので、だいたいわかりますね。

 "死体に昆虫が集まる" の部分です。。。
 死肉に群がる蝶は、タテハ蝶科の「ルリタテハ・アカタテハ・ヒメアカタテハ・スミナガシ・コノハチョウ・フタオチョウ・ツナグロヒョウモン・メスアカムラサキ」などですが、これらの蝶は "祖先" とは見なされないようです。
 盆など、すでに遺体がそこのない場合はおもにアゲハ蝶科とマダラ蝶科ですね。「シロオビアゲハ」が最もポピュラーです。

 それと、沖縄島中部では御嶽などに向かう神女達に寄り添うように「オオゴマダラ・アサギマダラ・リュウキュウアサギマダラ」などのマダラ蝶科のことを「アンマーウーヤー(母を追いかける者)」って呼ぶんでいたようです。ここで言う「アンマー」はノロさんなどで、彼女達の衣装から発する植物性防腐剤に反応するようです。
 そうすると、おおむねアゲハ蝶類が祖先で、マダラ蝶類は "神" と判断する事も可能かもしれません?

投稿: 琉球松 | 2016/02/01 15:12

琉球松さん

蝶を追いかけてたんですね。どういう蝶が、ということを知りたかったので嬉しいです。

「盆など、すでに遺体がそこのない場合はおもにアゲハ蝶科とマダラ蝶科ですね」というのは、寄ってくるという意味ですか?

投稿: 喜山 | 2016/02/02 13:39

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