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2016/01/29

スクの語源

 宮城幸吉は、スクの語源について書いている(「スクおよびスクガラスについて(<特集>イノーの民俗)」「民俗文化」1990)。

 スクは日を決めて、早朝の満ち潮に乗ってくるので、「潮の子(スーヌクワ)」という意味で、それがスークまたはスクと変化したのではないか。久米島ではヒシクというのは、「干瀬の子(ヒシヌクワ)」がつまってヒシクとなったのではなないかと想像する。

 この想像は、的を射ているかは分からないけれど、いい感じに響いてくる。スーヌクヮは、シューヌクヮでもあり、「シュク」と呼ばれるのにも通じている。「子」としての連想は与論の「イューガマ」にも通じる。

 小型は「ウンジャミ」、中型は「スク(シュク)」系。

 海神はスクになる。海神のスクになるのだ。海のカミはスクであり、それは神という概念が生まれると、海神からの贈り物とみなれるようになる。この場合の海は、珊瑚礁の海と言ってもいいと思う。

 また、大型になると、「キラハニ」と呼ばれている。谷川健一は、宮城島の老漁師から、テダハニスク、ウンジャミ、スクと聞き取っている(『南島文学発生論』)。ここからすれば、キラハニとは、tida → tira → kira という音韻変化のように見える。

 そうだとすると、スク以外の呼称は、海神、太陽の羽とどれも神聖な名称をつけられている。そうだとすれば、スクにしてもどこかしら聖なる意味を含むものだとしても、可笑しくないだろう。いちばん小さなものが海神とまでよばれているのだから。「潮の子(スーヌクワ)」や「干瀬の子(ヒシヌクワ)」の語感はそれにふさわしい気がする。ただ、そこには、「海神」も「太陽」もカミであるように、「潮」や「干瀬」もカミのように感じられていたはずだ。

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