よなたま、人魚、ザン(ジュゴン)
「よなたま」、「ザン」、「ジュゴン」の表記の揺れを見てみる。
1.『宮古島旧史』1746
(よなたま)
2.南方熊楠「人魚の話」1910(明治43)
(人魚)=(ジュゴン)
今日、学者が人魚の話の起源と認むるは、ジュゴン(儒艮)とて、インド、マレー半島、豪州等に産する海獣じゃ。
3.大森義憲「諸国叢書 第13輯」1935(昭和10)
(ユナイタマ)=(人魚)
人魚に触れると不漁になる。ユナイタマにはふれないのがいちばんである。二人をる時は一人は魚と見、他の一人は人間に見る事がよくあるといふ。
4.江崎悌三「八重山遊記」1935(昭和10)
(ザンノ魚)=(人魚)=(儒艮)
5.島袋源七「沖縄における寄り物」『民間伝承』15巻11号(通巻162号)民間伝承の会、1951(昭和26)
(ザン)=(儒艮)
6.稲村賢敷『宮古島庶民史』1957(昭和32)
(人魚)=(よなたま)
よなたまという魚は人魚の一種で顔に嬰児の顔を見るようだとも言い、鳴き声も嬰児のそれにそっくり似ていると言う事である。
7.谷川健一『神・人間・動物』1974(昭和49)
(ザン)=(よなたま)=(ジュゴン)
18世紀には、「よなたま」とだけあったのが、1935(昭和10)年には、「人魚」と同一視されている。また、同年には、ジュゴンが「人魚」と同一視されている。
時代はくだって、1957(昭和32)には、「人魚」が「よなたま」だと言われている。
この間、まず、「よなたま」が「人魚」と同一視され、次には「人魚」の概念が広くなり、「よなたま」は「人魚」の一種と見なされるにいたっている。
ザンは「よなたま」という言い方はない。ザンは「人魚」ならある。「人魚」を介して「よなたま」と「ザン」み結びつく。三段論法なら、よって「ザン」は「よなたま」となるところだけれど、そう論理展開されているわけではない。
よなたま⇔人魚⇐ザン
そして、1974(昭和49)年、谷川健一が遠慮なく三者を等号で結んでいる。
しかし、「ザン」を直接「よなたま」に結びつけていないあわいは大事なものだと思う。
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