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2016/01/19

レレ族の豊穣儀礼

 ハンス・フィッシャーによれば(「霊魂観の研究史」)、アンカーマンは「アフリカ諸民族における死者祭祀と霊魂信仰」(1918)のなかで、不備のない資料が利用できるようなところではどこでも、と留保をつけながら書いている。

・・・・人間の中には・・・・生かしている力〔が宿っており〕、それは死に際して消える。そのほか、人はある種のドッペルゲンガーを持っているが、それは影において具現され、死後存在し続ける。
アフリカ人においては、統一した霊魂観はなく、その片方が生命を、もう一方が人間の肉体的・精神的存在を包括するような、二つの別々の『霊魂』概念がある。これらの二つを『プレアニミズム的』観念と呼んでもよかろう。

 これは、アフリカの種族もまた、欧米人が観察した段階で、霊魂と霊力としての霊魂のふたつを持っていたことを示している。

人間が出産する場合には苦痛と危険とが伴うのが自然であり、しかも生まれる児は通常一人である。これと対照的に、動物は生まれつき多産だと考えられており、動物の出産は苦痛や危険を伴わず、しかも通常一度に二匹ないしそれ以上を産む。従って、人間が双生児や三ツ児を生めば、それは通常の人間的限界を超え得たことになる。これはある意味では異例だが、最もめでたい意味で異例なのである。動物界にもこの種のものに対応するものがあり、こういった良き意味での怪物をレレ族は正式な儀式によって崇拝している-それがセンザンコウすなわちウロコの生えたアリクイである。センザンコウの存在は動物的属性のすべてに明白に矛盾している。それは魚と同様にウロコがあるのに木によじ上る。哺乳類というよりは卵生のトカゲに似ているけれども、幼獣に乳を与える。そしてレレ族にとってのその最大の意義は、他の小型哺乳類とは違って一匹しか子供を生まないことであるのだ。さらにまた、それは人間から逃げたり人間を襲ったりはせず、おとなしく体をまるめて狩人が通り過ぎるのを待っている。こうして、人間界における双生児の両親と森林界におけるセンザンコウとが、豊穣の源泉として祭式にとり入れられるのである。センザンコウは嫌悪されたり完全な例外とされたりすることなく厳粛な儀式にとり入れられ、新たな成人の資格を獲得した者はそれを食べることによって仲間に多産性を与えることができるとされるのである。(『汚穢と禁忌』)

 これは琉球弧でのジュゴンの位相を追究するうえでも示唆が多い。この豊穣儀礼が成人儀礼と結びつく意味についてもメアリ・ダグラスによって触れられている。

つまり、それははじめて秘儀への参加を許された者を一変させ、彼らをとり囲む文化の基礎をなす分類原理に直面させ、さらにその原理は虚構で人工的で恣意的なものにすぎないという実体を見認めさせようとする儀式なのだ。

 琉球弧においては、レレ族のように分類原理はやかましくなかったはずだが、少なくとも、大人になるという意味は持つことができた。また、レレ族においても死への接近は厳しくないように見える。


メアリー・ダグラス『汚穢と禁忌』

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