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2016/01/28

「琉球崎樋川貝塚」(島田貞彦)

 島田貞彦が、「蝶形骨器」を発見した際の論文を挙げておく。一部、漢字やかなづかいを現代のものに改めている。
 
 1932(昭和7)年、梅雨明けしたばかりの六月の那覇は、もう夏の陽射しが照りつけていた。昨日、那覇に着いたばかりの島田には、亜熱帯の太陽を浴びて作業をするのは身体に堪えただろう。結局、彼は暑さと日程の都合もあり、20,、21の二日間しか発掘をすることはできなかった。しかし、そこで島田は、貝塚時代の精神の巨大な手がかりを手にしていたのだ。島田は、特に骨製装身具を出したことは南島の先史考古学の闡明(せんめい)により十分な據點(きょてん)を与える事項であると考える」と書いたが、それは南島の精神史にとってもそうだ。

 次に挙ぐる蝶形骨器は這種装身具発見の嚆矢とすべくまことに本遺跡の価値を一層高めしめるものである。
 本器は後に述べる様に垂飾に際しては恐らく水平の位置をとったものであろうと想像せられるので仮にこれを蝶形骨器と名づけておく。獣骨(推定猪骨)の大腿骨を利して加工したものであって、やや不整であるが左右対照する双脚をなし今一双脚を欠失しているが、ほぼ完全に近いものと云える。左右の最大二寸二分、厚さ中央部にて五部強を数えやや湾曲している。

 この凹面には刻線紋様を配し他面には全然これを欠いているのでこの凹面が垂飾に際し表面となることは間違いない。しかして上下の側面は鋭く刻んで歯列状をなしている。
 次に細部の一二について見るにまず彫図においては一個の界線を中心として左右対照の幾何学的図様を刻入している。彫法粗放にしてかつ古拙な趣きは器形の手法とあいまって荒作りなものである。刻紋は紐縄の結節から便化したものであることはこの種土器の結節紋様と一致するところである。

 さらに紐孔部を験するに器体の左右を貫通する主孔の外に一側面の中央から主孔にまで通ずる側孔が穿たれている。されば本器の孔穴はあたかも┴状となりこの際、側孔ある側面を上脊とすべきかあるいは下底とすべきかはしばらく措くとして器体が身体に懸垂さるる場合にこれが主孔に平行するものであったことは否みがたい。しかも紋様ある凹面を外方として垂飾するものであったことも推定される。

 かような器形ははたして身体のいかなる部位に懸垂したものであろうか。従来他地方から発見せられている特殊な形態をした大形骨角器の多くは腰飾として推定されている。本器はこれらのものに比すると大きさにおいて類似しているのでしばらく腰飾の一種として取り扱っておきたい。

 本器が単なる装飾の外に護符的の意義の潜在するものであろうことは容易に想像せらるるところであるが直接的に見て他の器形のごとく特異とするところがすくない。この点においてむしろ装飾化したものと考えられないこともない。(島田貞彦「琉球崎樋川貝塚」 「歴史と地理 30-5」歴史地理学同政会、1932年)


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