京・立神・トングヮ・地先の島
「「イノー」の民俗」(<特集>イノーの民俗「民俗文化」1990)のなかで、仲松弥秀は、奥武島以外の聖地として、京、立神、トングヮ、その他の地先の島をあげている。これを地図化してみた。
場所が不確定のものはその旨、注記している。地元の人には自明だろうが、ぼくの視野が届かない。
仲松の注記。
1.嘉陽の京。ニライカナイの神の上陸滞留する聖地。
神は南方はるか彼方からリーフの切目をなしている所謂「クチ」からイノーに入られて来れ、この京に滞留なされる。浜辺での村落共同体の神女達による招請によって、京から嘉陽の村に臨幸なされ、福を授けられるのである。
神は飛んでやってくるわけではなく、クチを気にしながら航海する。とても人間的だ。
2.加計呂麻島西阿室の立神。
ネリヤの神は立神に上陸滞在。神女の招請に応じて押角に上陸。山の稜線の神道を馬で辿り、オボツ山に着く。オボツ山から下山。途中のテラ山の祖霊神と会い、相携えて祭祀場に出現。
この場合、立神とオボツ山は、両方とも「あの世」だったことを示している。
3.トングヮ
仲松はこれをイノー内の聖地としている。
4.瀬長島
戦前まで子授かりの拝所があった。干潮時には付近住民が人力車で渡り、子授かりの祈願者や遊覧者で賑わった。
立地からいえば、瀬長島も「あの世」の島でありえた。しかし、それが「子授かり」の機能を持つことになるのか確言しにくい。拝所に力点を置けば、そうだとは見なしやすい。
5.鳩離れ岩島
西表島と鳩間島を往来する神の休憩所。
この往来も面白い。
ぼくの観点からいえば、仲松は地先の聖地を辿りながら、「あの世」は遠くないという彼の主張を気づかずになぞっていたのだ。「青」にこだわらなければよかったのにと思う。
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