「鮫」の変換形態
ソロモン諸島の鮫については、後藤明の『「物言う魚」たち』でも言及されている。
マライタ島 死者→鮫、カジキ、ハタのような大型漁。鮫に由来するとする氏族も少なくない。鮫の肉はタブー。
マキラ島 鮫になった少年の話がある。
マライタ島とマキラ島 守護神の鮫と野生の鮫の二種類。
もっとも一般的なのは、守護神の鮫は生前、鰹漁などの名手が死んで魂が鮫に化身したという観念である。
秋道によれば、死霊であるアガロのことを指す。棚瀬の死霊では、マライタ島ではアカロ、マキラ島では、アダロとあるので、マライタ島のことのようにも見える。
彼らにとって、鰹は神そのものであるが、鮫は神の使い、ないし神と人間をつなぐ媒介者なのである。
ここは分かりにくい。カツオはカミ。カミを伴って現われるのはサメ。だから、サメはカミの使い、ということになるだろうか。
ソロモン諸島付近では鮫をモデルにした、奇妙な姿の海神が知られている。ソロモン諸島からニューヘブリデス諸島にかけて知られる海の霊、プア・タンガルである。その姿は人間と鮫やカジキといった魚の合体したものと人々は捉えている。
ここで、ぼくが最近、虜になっている半漁人の名前が分かった。プア・タンガル。しかし、後藤の解説は、頭部はカツオとする秋道の見解とは異なる。しかし、後藤も引いている下図は、カツオに見える。
島人は好んで描くというから、どちらに似ていることもあるのだろう。
ソロモン諸島 鮫は死霊の化身
バンクス諸島 鮫は精霊の化身
ポリネシア 鮫は神の顕現
タンガロアはもともと鰻・蛇あるいは鰐・鮫をモデルとする水霊・海霊的な様相をもっており、それがメラネシアからポリネシアに至って人格神・創世神化したという仮説も成り立ちうるのではないかと思う。
ぼくたちの理解では、バンクス諸島の「精霊」がもともとの形で、ソロモン諸島では転生信仰の影響により、死者の化身となり、ポリネシアではそのまま神となったと考えることができる。
琉球弧の「ゆなたま」は、ジュゴンをモデルとした海霊であり、この意味では、バンクス諸島の「鮫」と同位相にある。
ソロモン諸島に属するティコピア島。
ティコピア島では鰹漁は男子のイニシエーションといった社会的意味をもち、鰹の群を呼ぶための一連の儀礼や禁忌がある。たとえば、漁の前に女性と交わるのは禁じられるし、勃起した男根を想起させるような釣り竿の持ち方も禁じられる。また、鰹は神の子供であり、鰹の群の中には神アトゥイ・イ・ラロプカがいて、それが群を人間のほうに導くと考えられている。その神はしばしば鮫として表現される。そして人々は鮫にも鰹と同じような観念を抱いている。ただ鰹は神の子供、鮫は神の使いないし道具という点が異なる。
カツオとイニシエーションのつながりは、マライタ島、マキラ島でも同じだ。
鰹と違って鮫が擬人化されるのは、鮫がメガ・ファウナであるだけでなく、その同じ種でも携帯や色合いなどに違いがあるので、人々は個性を感じるということに由来するのであろう。
ここも分かりにくい。ダベンポートは、その集団性の観点から、カツオが擬人化されると指摘している。これはこれで最もな見解だ。
「ゆなたま」としてのジュゴンは、海霊の子供という意味では、鰹に近い。また、サメがカツオをもたらすように、「ゆなたま」は津波をもたらすとしたら、「ゆなたま」は逆サメの位相をもつことになる。
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