マキラ島の聖なるカツオ
「Male Initiation in Aoriki」は、とても重要な気がするので、分からないところもあるが、イニシエーションの核心以外の箇所もポイントを訳しておく。
カツオはふつうの魚とは見なされていない。カツオは、守護する神々に支配されていて、またその化身とみなされるので、神聖な魚である。生物学的なひとつの理由は、人間と似て、カツオの血が赤いからである。カツオ漁は、超自然的な領域に直接入っていくことであり、生き物の運命を支配している神々の存在にじかに触れることを意味している。いろいろな意味でカツオについての神々の行動は、人間に対する彼らの現在の態度の指標になる。訓練を通じて人間がカツオを捕ることができるのは、彼らの寛大さや喜びを示している。その上、カツオ漁は義務ですらある。それはなされなければならない。そしてもしうまくいけば、それは最も美味しいと考えられている食糧を得ることでもある。
(小さなカヌーで外洋に出てカツオを釣るのはとても困難。)
アオリキのイニシエーションは、守護する神々と人間の関係についての知識なしには理解できない。それは成功と失敗を司りながら人間の運命を支配する守護者なのだ。いかし、「野生」と見なされている別の神々は別で、彼らは守護者と人間のよい関係を妨害しようとする。これらの神々や超自然の存在は、最大の捕食者である鮫に代表されている。これらの信仰が伝統的なアオリキの島人にはある。
人間の共同体とカツオの群れとの間に何らかのアナロジーがあるようだ。どちらも守護者の力や魅力に応えている。カツオは餌の群れに対応して一緒にやってくる一方で、視界の外に静かに存在している。人間は宗教的な目的に応じて集団的な作業を一緒に行う。動物界の捕食は、人間社会の方向(?)や成功のようだ。カツオは人間と似ている。カツオの捕食は容易に見れるので、賞賛される。カツオの群れの周辺にいてる鮫は、「野生」の神々で、人間の感覚からすれば、守護者と人間の関係を破壊しようとしているように見える。
このアナロジーが当てはまるなら、イニシエーションとそれに続く祝宴の目的を理解するための示唆を与える。人間界と動物界の神秘的な類似を認めること、人間をカツオと同一化し、人間界と動物界の両方を活性化する超自然的な力が両者を結びつけていることを。
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棚瀬はコドリントンの解説を訳していた。
ソロモン諸島において聖なる動物と見られるものは、主として鮫、鰐、蛇、ボニト魚、およびフリゲート鳥である。聖なる場所に出現する蛇は、それ自体、聖なるものであり、死霊の化現であるとされる。(p.196)
原文では、こう。
Living sacred objects in the Solomon Islands are chiefly sharks, alligators, snakes, bonitos, and frigate-birds. Snakes which haunt a sacred place are themselves sacred, as belonging to or serving as an embodiment of the ghost-
で、棚瀬が「ボニト魚」と書いていて初めは分からなかったのだが、これが「カツオ」のことだ。Aorikiの北のマキラのそのまた北のマライタ島では、「サメは人間の祖先であり、そのサメがカツオをはじめ、さまざまな海の幸をもたらすと考えられている」(秋道智弥「カツオをめぐる習俗」『海から見た日本文化』)とされているが、上記のAorikiでは、より強い畏敬が鮫に抱かれているように見える。別の報告では、マキラ島でも、死霊は「鮫、蛇、亀、鷹」(棚瀬、p.172)とされているから、「鮫」も転生のひとつの形態なのだが、ダヴェンポートの文章からはそれは感じ取りにくい。
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