« 2015年12月 | トップページ | 2016年2月 »

2016/01/31

スクの来游する場所

 『サンゴ礁域の増養殖』から、スクの来游する場所をマッピングしてみる。

 直線でしか現わせないのと、奄美の情報が淡白なのが気になるが、おおよその海域が掴める。


 拡大地図でみないと詳細は分からないけれど。海の幸の福音ライン。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/30

「よなたま」とスク

 「よなまた」とスクの位相は似ている。

 「よなたま」。砂州の霊力。珊瑚礁の海の霊力。海神の子(母と子)。

 スクは、潮(干瀬)の子。珊瑚礁の海の霊力であるとともに、その子。

 それが荒神としてもたらすのは、スクは時化、よなたまは津波。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/29

スクの語源

 宮城幸吉は、スクの語源について書いている(「スクおよびスクガラスについて(<特集>イノーの民俗)」「民俗文化」1990)。

 スクは日を決めて、早朝の満ち潮に乗ってくるので、「潮の子(スーヌクワ)」という意味で、それがスークまたはスクと変化したのではないか。久米島ではヒシクというのは、「干瀬の子(ヒシヌクワ)」がつまってヒシクとなったのではなないかと想像する。

 この想像は、的を射ているかは分からないけれど、いい感じに響いてくる。スーヌクヮは、シューヌクヮでもあり、「シュク」と呼ばれるのにも通じている。「子」としての連想は与論の「イューガマ」にも通じる。

 小型は「ウンジャミ」、中型は「スク(シュク)」系。

 海神はスクになる。海神のスクになるのだ。海のカミはスクであり、それは神という概念が生まれると、海神からの贈り物とみなれるようになる。この場合の海は、珊瑚礁の海と言ってもいいと思う。

 また、大型になると、「キラハニ」と呼ばれている。谷川健一は、宮城島の老漁師から、テダハニスク、ウンジャミ、スクと聞き取っている(『南島文学発生論』)。ここからすれば、キラハニとは、tida → tira → kira という音韻変化のように見える。

 そうだとすると、スク以外の呼称は、海神、太陽の羽とどれも神聖な名称をつけられている。そうだとすれば、スクにしてもどこかしら聖なる意味を含むものだとしても、可笑しくないだろう。いちばん小さなものが海神とまでよばれているのだから。「潮の子(スーヌクワ)」や「干瀬の子(ヒシヌクワ)」の語感はそれにふさわしい気がする。ただ、そこには、「海神」も「太陽」もカミであるように、「潮」や「干瀬」もカミのように感じられていたはずだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/28

「琉球崎樋川貝塚」(島田貞彦)

 島田貞彦が、「蝶形骨器」を発見した際の論文を挙げておく。一部、漢字やかなづかいを現代のものに改めている。
 
 1932(昭和7)年、梅雨明けしたばかりの六月の那覇は、もう夏の陽射しが照りつけていた。昨日、那覇に着いたばかりの島田には、亜熱帯の太陽を浴びて作業をするのは身体に堪えただろう。結局、彼は暑さと日程の都合もあり、20,、21の二日間しか発掘をすることはできなかった。しかし、そこで島田は、貝塚時代の精神の巨大な手がかりを手にしていたのだ。島田は、特に骨製装身具を出したことは南島の先史考古学の闡明(せんめい)により十分な據點(きょてん)を与える事項であると考える」と書いたが、それは南島の精神史にとってもそうだ。

 次に挙ぐる蝶形骨器は這種装身具発見の嚆矢とすべくまことに本遺跡の価値を一層高めしめるものである。
 本器は後に述べる様に垂飾に際しては恐らく水平の位置をとったものであろうと想像せられるので仮にこれを蝶形骨器と名づけておく。獣骨(推定猪骨)の大腿骨を利して加工したものであって、やや不整であるが左右対照する双脚をなし今一双脚を欠失しているが、ほぼ完全に近いものと云える。左右の最大二寸二分、厚さ中央部にて五部強を数えやや湾曲している。

 この凹面には刻線紋様を配し他面には全然これを欠いているのでこの凹面が垂飾に際し表面となることは間違いない。しかして上下の側面は鋭く刻んで歯列状をなしている。
 次に細部の一二について見るにまず彫図においては一個の界線を中心として左右対照の幾何学的図様を刻入している。彫法粗放にしてかつ古拙な趣きは器形の手法とあいまって荒作りなものである。刻紋は紐縄の結節から便化したものであることはこの種土器の結節紋様と一致するところである。

 さらに紐孔部を験するに器体の左右を貫通する主孔の外に一側面の中央から主孔にまで通ずる側孔が穿たれている。されば本器の孔穴はあたかも┴状となりこの際、側孔ある側面を上脊とすべきかあるいは下底とすべきかはしばらく措くとして器体が身体に懸垂さるる場合にこれが主孔に平行するものであったことは否みがたい。しかも紋様ある凹面を外方として垂飾するものであったことも推定される。

 かような器形ははたして身体のいかなる部位に懸垂したものであろうか。従来他地方から発見せられている特殊な形態をした大形骨角器の多くは腰飾として推定されている。本器はこれらのものに比すると大きさにおいて類似しているのでしばらく腰飾の一種として取り扱っておきたい。

 本器が単なる装飾の外に護符的の意義の潜在するものであろうことは容易に想像せらるるところであるが直接的に見て他の器形のごとく特異とするところがすくない。この点においてむしろ装飾化したものと考えられないこともない。(島田貞彦「琉球崎樋川貝塚」 「歴史と地理 30-5」歴史地理学同政会、1932年)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/27

『精霊の王』から琉球弧へ

 サソコのミシャグチ神。

 壺の中に閉じ籠もったまま川上から流れ着いた異常児が流れ着いたのが坂越(サコシ)。異常児の零体は、「胞衣荒神」となって猛威を振るう。宿神、荒神、胞衣。

 坂越(サコシ)の当地音は、シャクシ。シャクシ=シャクジ←ミシャグチ。サ行音+カ行音。

 ミシャグチ神は、石棒、石皿、自然石の丸石で表現される。ミシャグチのそばに胞衣。

 柳田國男の音韻論的還元。シャグジ=社宮司、石護神、石神、石神井、尺神、赤口神、杓子、三口神、佐久神、作神、守向神、守宮神

 「サ」行音は岬、坂、境、埼などのように、地形やものごとの先端部や境界部をあらわす古いことばに頻出する。この「サ」行音が「カ」行音と結びつくと、ものごとを塞ぎ、遮る「ソコ」などのことばにあらわされるような「境界性」を表現することばになる。ようするに、シャグジは空間やものごとの境界にかかわる霊威にかかわることばであり、神なのではないか。

 柳田國男の推論。芸能の徒の守り神が「宿神」と呼ばれたのは、もともと定住しなかったので、坂や断層の近くに住んだ。そこは境界性をあらわすサカやソコなどの「サ+ク」音の結合で呼ばれるところだった。そのために芸能者たちは「ソコ」や「スク」や「シュク」の人々とよばれるようになり、守護神も「シュク神」と呼ばれるようになったのではないか。道祖神ももともとは境界神の一種。

 石と樹木の組み合せで表現されるミシャグチ。それは、中心から排除された領域としての境界を意味するのではなく、まさに世界と生命の根源にあるものに触れている境界の皮膜を意味する。

 鹿の胎児は、「さご」と呼ばれる。「サ+ク」音であり、酒も「サ+ク」音。雌鹿は、胞衣に対応。

 荒神を鎮めたあとに建てられたのは大避(おおさけ)神社。大荒(おおさけ)、大酒とも呼ばれていた。

 一連の境界性や裂開性をしめす概念と結びつく。

異質な存在領域との間に通路を穿って、植物の霊と人間が自由にことばを交わし合う神話の空間を実現するメタモルフォーゼをの神である宿神=シャクジ。

 宿神、転換の神、翁。

 遠い海の果て、大地の底。

 そんなドリームタイム的ななりたちをしたニライの空間には「スク(底)」があって、そこを境界面として「現実」の世界に接触している。ニイル人たちは、その「スク」を渡って、人間の世界にあらわれてくる。

「宿神」や「シャクジ」の背後にも、それとよく似たマトリックス状の動きをはらんだ超空間が働いているのを、わたしたちはすでに何度も確認してきた。この超空間のことは、ニライのような概念ではっきりととらえられてはいない。しかし、そこには胞衣の保護膜によって守られた存在の胎児が夢見をまどろみ、はちきれんばかりの強度がみなぎり(その力は現実の世界にほとばしりでては荒神となり、発酵した液体に宿っては陽気と乱行を発散させる酒となる)、律動をはらみ、変化と変容へのはげしい衝動に突き動かされている。そこはまた生命と富の貯蔵庫でもあって、いっさいの「幸」や「福」はこの超空間からの贈与として、人間の世界に送り届けられるのである。

 ここまでは、引用と要約。

 この引用文の解説はほとんど珊瑚礁の海にあてはまる。まるで、珊瑚礁を説明されているみたいだ。胞衣としての珊瑚礁。


中沢新一 『精霊の王』


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/26

「子は「ニライ・カナイ」からの授かり」(仲松弥秀)

 仲松弥秀は、「「イノー」の民俗」の「子は「ニライ・カナイ」からの授かり」の項で、「子授かり」の祈願をした場所を挙げている。

 瀬長島、沖縄島南部の東海岸のヤハラヅカサ(聖地)、辺野嘉、宮古島平良市の荷加取の眞玉御嶽、下地の赤名宮やツヌヂ御嶽。伊良部島の小浜御嶽。

奄美大島北部の秋名(秋名マンカイで有名)では、子供は波打際から、または浜のアダン樹の茂みから拾って来たと。古仁屋では海から、川口からと、請島の池地では、小ツボに乗って来たのを渚でと、与路島では波打際に漂うている小舟の中からと語る。

 ここで仲松は谷川健一が、「このような波打際近くに産屋が設けられたのは、そこが常世ともっとも近い場所だったからと答える外はない」と書いたのを引用している。

 ぼくは前に、「古代になぎさに産屋を作った」のは、誤解ではないかと書いた(cf.「産小屋の底になぎさの砂を敷く」)。浜辺近くに家屋がない場合、無理があると思ったからだ。

 改めて「南島産育資料」(酒井卯作)をみても、渚に産屋を建てた例も、産小屋の底になぎさの砂を敷く例も見当たらない。

 だから、豊玉姫が海辺でウガヤフキアエズノミコトを産んだとしても、それをそのまま南島の習俗まで引き寄せるのは無理があると思える。

 ただ、子は渚からという思考は確かにあっただろう。それを象徴的に儀礼化したのが、浜下りだ。海の彼方のニライカナイから子は授かったという思考を象徴的に儀礼化したものだ。

 そしてそうだとしたら、浜下りの習俗は、他界の遠隔化のあとに生み出されたものであるとともに、蛇婿譚に示されるとおり、そこがトーテミズムとの別れにもなったことを示している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/25

京・立神・トングヮ・地先の島

 「「イノー」の民俗」(<特集>イノーの民俗「民俗文化」1990)のなかで、仲松弥秀は、奥武島以外の聖地として、京、立神、トングヮ、その他の地先の島をあげている。これを地図化してみた。

 場所が不確定のものはその旨、注記している。地元の人には自明だろうが、ぼくの視野が届かない。

 仲松の注記。

1.嘉陽の京。ニライカナイの神の上陸滞留する聖地。

神は南方はるか彼方からリーフの切目をなしている所謂「クチ」からイノーに入られて来れ、この京に滞留なされる。浜辺での村落共同体の神女達による招請によって、京から嘉陽の村に臨幸なされ、福を授けられるのである。

 神は飛んでやってくるわけではなく、クチを気にしながら航海する。とても人間的だ。

2.加計呂麻島西阿室の立神。

 ネリヤの神は立神に上陸滞在。神女の招請に応じて押角に上陸。山の稜線の神道を馬で辿り、オボツ山に着く。オボツ山から下山。途中のテラ山の祖霊神と会い、相携えて祭祀場に出現。

 この場合、立神とオボツ山は、両方とも「あの世」だったことを示している。

3.トングヮ

 仲松はこれをイノー内の聖地としている。

4.瀬長島

 戦前まで子授かりの拝所があった。干潮時には付近住民が人力車で渡り、子授かりの祈願者や遊覧者で賑わった。

 立地からいえば、瀬長島も「あの世」の島でありえた。しかし、それが「子授かり」の機能を持つことになるのか確言しにくい。拝所に力点を置けば、そうだとは見なしやすい。

5.鳩離れ岩島

 西表島と鳩間島を往来する神の休憩所。

 この往来も面白い。

 ぼくの観点からいえば、仲松は地先の聖地を辿りながら、「あの世」は遠くないという彼の主張を気づかずになぞっていたのだ。「青」にこだわらなければよかったのにと思う。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/24

奥武島ブルー 2

 「「イノー」の民俗」(<特集>イノーの民俗「民俗文化」1990)で、仲松弥秀が、「青」の島の再論しているので、彼が七つと挙げていた島の見当がついた。

 「「イノー」の民俗」で付け加えているものを足して表を更新しておく。(cf「奥武島ブルー」

2_2


 表の内容は、資料から判断できることを書いているので、現地の人からはもっと得られる情報があると思う。それを知りたく思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/23

スク・シヌグ・ウンジャミ

 高阪薫は、谷川健一が安田のシヌグで、植物に身をまとった男たちが「スクナレースクスク」と唱和するのを、「スク直れ」、「スク魚寄れ」とみなし、「スクがたくさん寄ってきてほしい」という意味に解したのに疑問を投げかけている(「「海神祭の由来」への一疑問--安田のスクは魚かどうか」1992、「甲南大学紀要. 文学編」)。

 高阪は、グスクのスクと同源で、スクを「聖域」と解し、「聖域に直れ」という意味に採っている。山の神の精霊に関わるものだから、少なくとも「スクナレースクスク」は、スク祭やウンジャミとは関係がないのではないか、と。

 両者の見解を包含する視点は設けることができる。

 まず、酒井卯作は「年折目試論-ウンジャミとシヌグについて-」(「南島研究」1)で、はっとする見解を出している。

 奄美では、二月のはじめにナルコ、テルコを迎え、四月にお送りをする。もともと奄美では、三八月といって、アラシツ、シバサシ、ドンガの盛大な三つの行事が八月に行われる。

これはテルコ神ナルコ神の送迎祭とは無関係のような印象を受けるが、これらの行事はそれぞれ別個の行事ではなく、おそらく本来はひとつながりの行事であったにちがいない。

 酒井は、「南島は祖先崇拝の熱烈な土地だから、島津の干渉で、なるべく盆行事の方にこれをもっていったのではないか」という柳田國男の言葉を思い出す。奄美の神の送迎の間隔が二ヵ月あるのも、当時の時間間隔からすれば当然であり、むろもっと長くても不自然ではない。「むしろシヌグで迎えた祖神を、ウンジャミに送るというのが本筋」ではないかと酒井は見なしている。

 つまり、シヌグとウンジャミは、もともと一体のものだったのが、一回ずつ行なわれ、隔年になったと考えるわけだ。これはシヌグの謎を解く上で重要な視点だと思う。

 こう解すればすれば、高阪の、「スクナレー」は山の神に関するシヌグで使われるはずだがないという疑問は解消される。もともとシヌグとウンジャミは一体のものと見なせば。

 もうひとつは、スクは「聖域」という高阪の見解だが、魚の「スク」の語源が、「聖域」としても「スク」から来ていると見なせば、スク=魚=聖域となって、ここでも高阪の疑問は解けることになる。

 もっともこれに頷くかどうかは別の問題で、ぼくもこの理解は、あまりにおあつらえ向きではないかと思える。しかし、抗しがたい魅力があるのも確かなのだ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/22

みみらくの島とニーラスク

 「根の国の話」で、柳田國男は書いている。

 ただここで一つだけ説き立てずにおかられぬことは、MN二つの子音の間隔が、以前は今よりもずっと近く、しばしば通用せられていたらしいことで、(中略)仮にミミラクなどの終りのK子音が、島を出てから後の追加だと決しても、ニーラがミーラとなるなっているまでの変化は、言葉そのものの性質と解することができる。ただミミラクと二つ重ねたのは異例だが、現在の地名は「三井楽」と書き、また古く『続日本後記』にある旻楽はミンラクとも訓まれ、そのうえにまたあの世を意味する言い伝えも古いので、断定はまだ早いとしても、是は亡き人の往って住むという。この世の外の隠れ里、おそらくは遥けきを意味する大昔の根の国であり、同時に神と祖先との今も住む本つ国の言い伝えが、まるまる消え失せてはいなかった例証の一つとまでは、推定してよいかと思う。

 一方、中本正智は『日本列島言語史の研究』(1990)のなかで、『おもろさうし』のニライをあらわす語が、

 「みるや」、「にるや」の対語と「かなや」で表されることから、

 miruja → niruja → niraja → niraji → nirai

 という変化を想定している。

 そして、「み」が土に通じることから、ミロヤは「土の屋」、カナヤは「日の屋」と解した。

 琉球は多島地域であり、それぞれの島が、四面海に囲まれていて、朝の太陽は水平線の彼方から空と海を真赤に焦がして上ってくる。島人にとって地の中にあった「土の屋、日の屋」が永い歴史のうちに次第に水平線の彼方に推移していって、現在のような意味に落ち着いたとしても伏木はない。

 ここで思うのは、ミルヤ・カナヤが、仮に「土の屋」、「日の屋」だとして、「日の屋」は、遠隔化した他界に相当しているのではないだろうか。

 ミルヤ      地下・地上の他界
 ミルヤ・カナヤ 海彼の他界

 である。

 ミミラクは、柳田が地名として挙げている、三井楽を採ると、ミイラ・スクのs子音脱音とすれば、つながることになる。

 五島列島、福江島と措定されている「みみらくの島」が、ニーラスクと通じているのには驚くし、柳田はすでにそれを指摘していたことにも、驚く。

 


『海上の道』


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/21

トビウオ漁の豊穣儀礼

 秋道智弥の「「東アジア・オセアニアのトビウオ漁」から。

1.カロリン諸島サタワル島

 10-3月。カトー・マガル(呼ぶ・トビウオ)

対象となるトビウオの模型を島に自生する植物でつくり、ココヤシの葉製のかごにいれて島の浅瀬にある特別の場所に沈め、呪文を唱えてトビウオの来游を願う(後略)。

トビウオの玉にはタコノミの実、胴体部は地面に着生していないタコノキの気根で幹からのびたものを用いる。尾には、シマハマグルマの幹で二又にわかれたものを用意し、これにタコノキの気根を突き刺す。胸鮨にはココヤシの完熟した実から芽吹いた二枚の葉。

地面に着生していないタコノキの気根が用いられることは、海の上を飛ぶトビウオとまだ地面についていない気根とが類似した性格をもつことを示すものであろう。

 この他、サタワル島では、カトー・イカニウォニウォルも行われた。「呼ぶ・サンゴ礁の魚」。

2.ポリネシアのクック所とうにあるアティウ。

トビウオの群れが産卵のために接岸することを祝う儀礼がおこなわれる。

 サタワル島の予祝儀礼は面白い。


『ヒト・モノ・コトバの人類学―国分直一博士米寿記念論文集』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/20

ジュゴン予祝の仮面踊り

 トレス海峡のマビオグ島で、ハッドンが目撃した仮面の踊りの原文があったので、拙いが、抄訳しておく。

 ぼくが想定したいのは、こうした仮面踊りが、スクの季節に行われたことだ。

以下、訳文。

 マビオグ島の人々は、カップ(Kap)と呼ばれる踊りを行なう。kekと呼ばれる星がモア島の上に現れる日の出前、その頃は、南東の風が吹き、すべての食物が実るころだ。踊りは三夜続く。踊り手は、亀の甲羅でできて、人間の顔を象徴化したたくさんの種類の仮面をつけている。

 ムドゥ・カップは半日、続く。ふたりの男は代わる代わる一つの仮面をつける。ジュゴンの祭台は、敷物の目隠しの前にあり、ジュゴンの祭台の前には見物人がいる。見物人には、みんなが送ったご馳走が配られている。

 踊り手の一人は、目隠しの後で、仮面のついた木の輪か杖を肩にかけて、ココナツの葉でできたペチコートをつけ、右手にはココナツの葉の旗をもつ。そして目隠しの前に出ると、置いてあるジュゴンの銛を拾い上げてジュゴンの祭台に行く。そして見物人は、ダブルスタッカートの太鼓に合わせて歌い、仮面男は銛を振る。

 Mask

 その意味は分からないけれど、歌は繰り返される。仮面男はそれから踊りながら砂浜へ出て、目隠しの後ろへ行くとすぐに銛を弓と矢に代える。彼はスキップするような動きで踊る。踊りを繰り返す前に、彼は片方の足をゆっくり持ち上げる。この踊りのあいだ、仮面男はココナツの葉の旗を掃くように動かし、太鼓は打ち鳴らされ、見物人は歌う。

 女たちは家に戻る。他の男が目隠しの後で仮面をつけ、前に出て、祭台にのぼる。太鼓が打ち鳴らされ、女たちは戻る。仮面男は祭台に座る。しかし、人々が太鼓に合わせて最初の歌を歌うと、彼は銛を振り、そして祭台でしゃがみ、また銛を振る。それから祭台から飛び降り、ジュゴンで槍で突くように銛を振る。次の踊りでは、軽く飛び上がるような感じで前へ後ろへ動き、銛を前へ後ろへ突く。最後に、彼は目隠しの後へ行き、カップは終わる。

 わたしはたびたび、カップは「ただの遊びで休日みたいなもの」と聞かされたが、情報提供者は、ユーモラスでお祭的な面だけに目を向けて、この踊りが意味するものを理解していないのが分かる。このジュゴン漁のパントマイムは、明らかに、彼らの漁撈活動に結び付けられているのである。

Cambridge Anthropological Expedition to Torres Straits; Ray, Sidney Herbert, 1858-1939; Haddon, Alfred C. (Alfred Cort), 1855-1940
Vol. 5.- Sociology, magic and religion of the Western Islanders, p.339


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/19

レレ族の豊穣儀礼

 ハンス・フィッシャーによれば(「霊魂観の研究史」)、アンカーマンは「アフリカ諸民族における死者祭祀と霊魂信仰」(1918)のなかで、不備のない資料が利用できるようなところではどこでも、と留保をつけながら書いている。

・・・・人間の中には・・・・生かしている力〔が宿っており〕、それは死に際して消える。そのほか、人はある種のドッペルゲンガーを持っているが、それは影において具現され、死後存在し続ける。
アフリカ人においては、統一した霊魂観はなく、その片方が生命を、もう一方が人間の肉体的・精神的存在を包括するような、二つの別々の『霊魂』概念がある。これらの二つを『プレアニミズム的』観念と呼んでもよかろう。

 これは、アフリカの種族もまた、欧米人が観察した段階で、霊魂と霊力としての霊魂のふたつを持っていたことを示している。

人間が出産する場合には苦痛と危険とが伴うのが自然であり、しかも生まれる児は通常一人である。これと対照的に、動物は生まれつき多産だと考えられており、動物の出産は苦痛や危険を伴わず、しかも通常一度に二匹ないしそれ以上を産む。従って、人間が双生児や三ツ児を生めば、それは通常の人間的限界を超え得たことになる。これはある意味では異例だが、最もめでたい意味で異例なのである。動物界にもこの種のものに対応するものがあり、こういった良き意味での怪物をレレ族は正式な儀式によって崇拝している-それがセンザンコウすなわちウロコの生えたアリクイである。センザンコウの存在は動物的属性のすべてに明白に矛盾している。それは魚と同様にウロコがあるのに木によじ上る。哺乳類というよりは卵生のトカゲに似ているけれども、幼獣に乳を与える。そしてレレ族にとってのその最大の意義は、他の小型哺乳類とは違って一匹しか子供を生まないことであるのだ。さらにまた、それは人間から逃げたり人間を襲ったりはせず、おとなしく体をまるめて狩人が通り過ぎるのを待っている。こうして、人間界における双生児の両親と森林界におけるセンザンコウとが、豊穣の源泉として祭式にとり入れられるのである。センザンコウは嫌悪されたり完全な例外とされたりすることなく厳粛な儀式にとり入れられ、新たな成人の資格を獲得した者はそれを食べることによって仲間に多産性を与えることができるとされるのである。(『汚穢と禁忌』)

 これは琉球弧でのジュゴンの位相を追究するうえでも示唆が多い。この豊穣儀礼が成人儀礼と結びつく意味についてもメアリ・ダグラスによって触れられている。

つまり、それははじめて秘儀への参加を許された者を一変させ、彼らをとり囲む文化の基礎をなす分類原理に直面させ、さらにその原理は虚構で人工的で恣意的なものにすぎないという実体を見認めさせようとする儀式なのだ。

 琉球弧においては、レレ族のように分類原理はやかましくなかったはずだが、少なくとも、大人になるという意味は持つことができた。また、レレ族においても死への接近は厳しくないように見える。


メアリー・ダグラス『汚穢と禁忌』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/18

カツオ・イニシエーションの意味

 アオリキのカツオ・イニシエーションで、少年がカツオを抱いたり、カツオの血を飲むのは性的な印象を受けるが、これは、カツオの子であることを示しているのかもしれない。

 カヌーの中で、少年が下になり、カツオの頭を上にして抱く。これは、カヌーを母胎にして、カツオから産まれるということを象徴化したもの。

 カツオの血を口で数滴、受ける。これは、カツオを人間に見立てて、カツオの授乳を受けるということを象徴化したもの。

 後者が最も重視されていて「変態儀礼(transformation ritual)」と呼ばれているのは、カツオの子になることで、カツオへと変態することが思考されているのではないだろうか。

 ここには、ソロモン諸島における転生信仰が寄与している。だから、死後の転生とつながっている。

 ソロモン諸島では、転生信仰があるから、成人儀礼において、死への接近は強化されずに行なわれるはずだ。この儀礼の過程は、この仮定を裏づけるように見える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/17

カツオとサメのポジション

 カツオとサメのポジションを確かめたい。 

人は死ぬとアガロ(agalo)と呼ばれる霊になると考えられ、とくにカツオ釣の名手の死霊は、サメの形をし、人々の海上における安全と、海の幸カツオをもたらすとされている。(秋道智弥「カツオをめぐる習俗」『海から見た日本文化』)

 棚瀬資料では、マライタ島では、アカロ('akalo)、マキラ島(サン・クリストバル)では、アダロ('adaro)とあるので、上記のアガロ(agalo)がどちらを指すのか分からなかったが、Encyclopedia of World Culturesをみると、「ancestral spirits (akalo, agalo, adalo)」とあるので、アカロ、アダロ、アガロは、音韻変化の範囲内にあるらしい。そこで、秋道の言うカツオ釣の名手の話は、両島に共通すると見なしておく。

 この場合、サメがカツオを連れてくるということが、カツオ釣り名手が、カツオを釣るという行為と似ている、あるいは、サメがカツオを獲ることと、カツオ釣りがカツオを獲る行為とが同一視されていることになる。

 『「物言う魚」たち』における、「彼らにとって、鰹は神そのものであるが、鮫は神の使い、ないし神と人間をつなぐ媒介者なのである」という後藤の文章が分かりにくいと前に書いた。それをほぐせるだろうか。

 サメは、「祖先」であると同時に「神の使い」。
 カツオは、「神」であると同時に、人間が「食べる」。そして、イニシエーションの対象。

 この場合、「神」はより正確には「カミ」。「神の使い」と書くと、「神」が上位者に見えるから分かりにくいのかもしれない。

 漁撈としては、カツオはサメを連れてくる。カミは、祖先を連れてくる。だから、「祖先」は、「カミ」と人間のあいだにいる。

 ここで主客を逆転してみる。サメはカツオを連れてくる。祖先は、カミを連れてくる。だから、「祖先」は「カミ」と人間を媒介してくれる。カツオ釣り名人とサメが同一視されるのは、この主客逆転の方に合っている。

 またここで、ダベンポートが、カツオは一般的な魚ではなく、神聖な魚であり、獲るのはとても大変と書いていたことも思い出される。

 「神の使い」という意味を、神の指示に従う者ではなく、神に随伴するという意味に捉えれば、受け取りやすくなる。ここでの、カツオは、サメに対しても人間に対しても非対称性を強めていないはずだから、こういう理解で妥当なのかもしれない。サメはカミと供だっている祖先だ。
 

『海から見た日本文化 (海と列島文化)』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/16

ジュゴン・トーテム

 ジュゴンをトーテムとする例を挙げておく。他にも見つけたら、追加していこう。

 トレス海峡の西部諸島に属するマビオグ島の人びとにとって、もっとも重要なトーテムはジュゴン。

ダンガル(ジュゴンのこと)氏族のおもだった男は右肩に、女はでん部にジュゴンをあらわすはん痕模様をほどこす。体だけでなく、タバコ用パイプ、腰ベルト、太鼓などにこうしたトーテム動物のモチーフをほりこむこともよくおこなわれる。(秋道智弥『海人の民族学―サンゴ礁を超えて』

 この島は、「大きなトーテムの人々」と「小さなトーテムの人々」に分かれる。

 「大きなトーテムの人々」:ワニ、ヒクイドリ、ヘビ、イヌ
 「小さなトーテムの人々」:ジュゴン、サメ、エイ、アオウミガメ

 ジュゴンをトーテムとする人々は、初物だけは食べなかったが、二頭目からは食べていた。

 もうひとつは、アラフラ海に面するオーストラリアのアーンベムランドのヤニュワ族。

ジュゴンはウミガメとともに権威ある海の生き物であり、祖先そのものである。そしてその肉は権威ある祖先の食物であり、自分たちの食物でもあると位置づけられている。(秋道智弥『漁撈の民族誌』)

 たったふたつだが、両者は比較的近い。トレス海峡には、他にもジュゴンをトーテムとする島人がいるのだろう。



秋道智弥『漁撈の民族誌―東南アジアからオセアニアへ』


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/15

「ゆなたま」あるいはジュゴンの位相

 「ゆなたま」あるいはジュゴンの位相を探ってみる。

 生命の根元である水は原初的な物質であり、そこに泳ぐ手足をもたぬ鰻や蛇は、混沌から生まれた最初の原初的生命を意味する。鰻や蛇は多くの民族で水そのものと同化し、海上を到来する光とも重なり合って、水の霊と観念される。水霊の引き起こす洪水や津波は、このような水界の霊的存在による浄化である。さらに洪水や津波に呑まれることは、蛇や大魚に呑まれることと同義である。しかし人間を攻撃し、呑み込む動物は腹に富や作物を宿す。それは洪水や潮汐が危険であると同時に、生命を育むという永遠の自然サイクルを象徴したものと思われる。

 本来、蛇や鰻が担うべきポジションに、「ゆなたま」が位置を占めているのは面白いと思う。琉球弧でも、「物言う魚」が鰻であったもおかしくなかったはずだ。

 位置づけの曖昧な動物、つまり両義的動物は重要な象徴的役割を担う。鰻、蛇、鰐はいずれもそれにあたる。その形態や生態、あるいは居住形態が特異性を示すのである。またこれらの動物は人間と同じくらい、あるいはそれ以上に大きな個体が存在する”メガ・ファウナ”である。そのため、半獣半人のイメージが生まれやすい。さらにこれらの動物は人間に危害を加えることがある一方で、何らかの意味で福徳をもたらす霊的な存在とされ、しばしば人間の祖先ないしトーテムとも見なされる。たとえば日本の民俗においても、「蛇は山と水界(海)につながりをもち、破壊者(地震、洪水、暴風)であると同時に、富をもたらすものでもあるという両義的性格を帯びている」。そのような境界領域的存在が霊的存在、あるいはタブーの対象となることは一般的なのである。

 この両義性は「よなたま」も持った。あるいはここでは、はっきりとジュゴンがモデルとなって、「半獣半人のイメージ」が形成されてきた。ただし、ジュゴンはメガ・ファウナではなく、トーテムにもならなかった。祖先にしても限定的だったと思える。それは、琉球弧では、脱皮する生き物がトーテムになってきたからだ。

 

後藤明 『「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話』


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/14

「鮫」の変換形態

 ソロモン諸島の鮫については、後藤明の『「物言う魚」たち』でも言及されている。

 マライタ島 死者→鮫、カジキ、ハタのような大型漁。鮫に由来するとする氏族も少なくない。鮫の肉はタブー。
 マキラ島 鮫になった少年の話がある。

 マライタ島とマキラ島 守護神の鮫と野生の鮫の二種類。

もっとも一般的なのは、守護神の鮫は生前、鰹漁などの名手が死んで魂が鮫に化身したという観念である。

 秋道によれば、死霊であるアガロのことを指す。棚瀬の死霊では、マライタ島ではアカロ、マキラ島では、アダロとあるので、マライタ島のことのようにも見える。

彼らにとって、鰹は神そのものであるが、鮫は神の使い、ないし神と人間をつなぐ媒介者なのである。

 ここは分かりにくい。カツオはカミ。カミを伴って現われるのはサメ。だから、サメはカミの使い、ということになるだろうか。

 ソロモン諸島付近では鮫をモデルにした、奇妙な姿の海神が知られている。ソロモン諸島からニューヘブリデス諸島にかけて知られる海の霊、プア・タンガルである。その姿は人間と鮫やカジキといった魚の合体したものと人々は捉えている。

 ここで、ぼくが最近、虜になっている半漁人の名前が分かった。プア・タンガル。しかし、後藤の解説は、頭部はカツオとする秋道の見解とは異なる。しかし、後藤も引いている下図は、カツオに見える。

Photo

 島人は好んで描くというから、どちらに似ていることもあるのだろう。

 ソロモン諸島 鮫は死霊の化身
 バンクス諸島 鮫は精霊の化身
 ポリネシア   鮫は神の顕現

 タンガロアはもともと鰻・蛇あるいは鰐・鮫をモデルとする水霊・海霊的な様相をもっており、それがメラネシアからポリネシアに至って人格神・創世神化したという仮説も成り立ちうるのではないかと思う。

 ぼくたちの理解では、バンクス諸島の「精霊」がもともとの形で、ソロモン諸島では転生信仰の影響により、死者の化身となり、ポリネシアではそのまま神となったと考えることができる。

 琉球弧の「ゆなたま」は、ジュゴンをモデルとした海霊であり、この意味では、バンクス諸島の「鮫」と同位相にある。

 ソロモン諸島に属するティコピア島。

 ティコピア島では鰹漁は男子のイニシエーションといった社会的意味をもち、鰹の群を呼ぶための一連の儀礼や禁忌がある。たとえば、漁の前に女性と交わるのは禁じられるし、勃起した男根を想起させるような釣り竿の持ち方も禁じられる。また、鰹は神の子供であり、鰹の群の中には神アトゥイ・イ・ラロプカがいて、それが群を人間のほうに導くと考えられている。その神はしばしば鮫として表現される。そして人々は鮫にも鰹と同じような観念を抱いている。ただ鰹は神の子供、鮫は神の使いないし道具という点が異なる。

 カツオとイニシエーションのつながりは、マライタ島、マキラ島でも同じだ。

 鰹と違って鮫が擬人化されるのは、鮫がメガ・ファウナであるだけでなく、その同じ種でも携帯や色合いなどに違いがあるので、人々は個性を感じるということに由来するのであろう。

 ここも分かりにくい。ダベンポートは、その集団性の観点から、カツオが擬人化されると指摘している。これはこれで最もな見解だ。

 「ゆなたま」としてのジュゴンは、海霊の子供という意味では、鰹に近い。また、サメがカツオをもたらすように、「ゆなたま」は津波をもたらすとしたら、「ゆなたま」は逆サメの位相をもつことになる。

 

『「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/13

マキラ島の聖なるカツオ

 「Male Initiation in Aoriki」は、とても重要な気がするので、分からないところもあるが、イニシエーションの核心以外の箇所もポイントを訳しておく。


 カツオはふつうの魚とは見なされていない。カツオは、守護する神々に支配されていて、またその化身とみなされるので、神聖な魚である。生物学的なひとつの理由は、人間と似て、カツオの血が赤いからである。カツオ漁は、超自然的な領域に直接入っていくことであり、生き物の運命を支配している神々の存在にじかに触れることを意味している。いろいろな意味でカツオについての神々の行動は、人間に対する彼らの現在の態度の指標になる。訓練を通じて人間がカツオを捕ることができるのは、彼らの寛大さや喜びを示している。その上、カツオ漁は義務ですらある。それはなされなければならない。そしてもしうまくいけば、それは最も美味しいと考えられている食糧を得ることでもある。

 (小さなカヌーで外洋に出てカツオを釣るのはとても困難。)

 アオリキのイニシエーションは、守護する神々と人間の関係についての知識なしには理解できない。それは成功と失敗を司りながら人間の運命を支配する守護者なのだ。いかし、「野生」と見なされている別の神々は別で、彼らは守護者と人間のよい関係を妨害しようとする。これらの神々や超自然の存在は、最大の捕食者である鮫に代表されている。これらの信仰が伝統的なアオリキの島人にはある。

 人間の共同体とカツオの群れとの間に何らかのアナロジーがあるようだ。どちらも守護者の力や魅力に応えている。カツオは餌の群れに対応して一緒にやってくる一方で、視界の外に静かに存在している。人間は宗教的な目的に応じて集団的な作業を一緒に行う。動物界の捕食は、人間社会の方向(?)や成功のようだ。カツオは人間と似ている。カツオの捕食は容易に見れるので、賞賛される。カツオの群れの周辺にいてる鮫は、「野生」の神々で、人間の感覚からすれば、守護者と人間の関係を破壊しようとしているように見える。

 このアナロジーが当てはまるなら、イニシエーションとそれに続く祝宴の目的を理解するための示唆を与える。人間界と動物界の神秘的な類似を認めること、人間をカツオと同一化し、人間界と動物界の両方を活性化する超自然的な力が両者を結びつけていることを。

◇◆◇

 棚瀬はコドリントンの解説を訳していた。

 ソロモン諸島において聖なる動物と見られるものは、主として鮫、鰐、蛇、ボニト魚、およびフリゲート鳥である。聖なる場所に出現する蛇は、それ自体、聖なるものであり、死霊の化現であるとされる。(p.196)

 原文では、こう。

Living sacred objects in the Solomon Islands are chiefly sharks, alligators, snakes, bonitos, and frigate-birds. Snakes which haunt a sacred place are themselves sacred, as belonging to or serving as an embodiment of the ghost-

 で、棚瀬が「ボニト魚」と書いていて初めは分からなかったのだが、これが「カツオ」のことだ。Aorikiの北のマキラのそのまた北のマライタ島では、「サメは人間の祖先であり、そのサメがカツオをはじめ、さまざまな海の幸をもたらすと考えられている」(秋道智弥「カツオをめぐる習俗」『海から見た日本文化』)とされているが、上記のAorikiでは、より強い畏敬が鮫に抱かれているように見える。別の報告では、マキラ島でも、死霊は「鮫、蛇、亀、鷹」(棚瀬、p.172)とされているから、「鮫」も転生のひとつの形態なのだが、ダヴェンポートの文章からはそれは感じ取りにくい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/12

ソロモン諸島のカツオの位相

 ソロモン諸島でのカツオの位相を確かめてみる。 

 ソロモン諸島国ではさまざまな動物が聖なる存在として扱われ、しかもしばしばクランのトーテムとされたり、祖先と同一視されていた。代表的なものとしては、サメ、ワニ、ヘビ、カツオ、グンカンドリ、キングフィッシュ(サワラ)があげられる。とくにサメにたいする観念や信仰には顕著なものがあり、サメは祖先の生まれ変わりとされけっして食べられることはなく、人びとの守護者的存在であるとするのは広くみられる現象である。(田井竜一「伝統的な宗教と儀礼」)
 ソロモン諸島のテシコピア島では、カツオがいなくなる理由は、カツオが一般にアトゥアとよばれる霊によって支配されていることや、死んだ首長がわざとカツオを島によばなかったからだとされている(Firth, 1967)。疑餌ばりに特殊な力、マナが内在し、首長がその疑餌ばりを特権的に保有することを認めた点も特徴としてあげることができる。

 カツオが食物として高い価値をもつだけでなく、超自然的な属性をもつ魚であることは、いくつもの事例に見い出すことができる。たとえばソロモン諸島の海の霊は、半人半魚の形をしているとイメージされている。その頭はカツオの形をしている(Codrington, 1972)。
 
 いっぽう、人は死ぬとアガロと呼ばれる霊になると考えられており、とくにカツオ釣りの名人の死霊はサメの形をしており、人びとの海上における安全と海の幸、カツオをもたらすとされた。人びとは水葬にふした死体をサメが捕食することや、カツオがいつもサメを伴って発見されることを知っているのである。カツオの初物は祖先の霊であるサメに捧げられるとともに、儀礼を執行した司祭だけがそれを儀礼的に食べる。ハワイでも、漁師の崇拝する魚のカミはカツオ、サメ、イルカなどの形をしていると考えられていた(Titcomb, 1972)。

 カツオに重要な価値が与えられていたことは、カツオをめぐる多くの禁忌があったことからもうかがうことができる。とくに、カツオ漁には女性のかかわりが徹底的に拒否された。もしも月経中の女性や妊婦がカツオを食べると、島にカツオがやってこないとか、カツオはその眼がみえなくなり、釣りばりにかからないとも考えられた。また、ハワイ諸島では、カツオは司祭や王、あるいは首長のみが初物を食べたり、禁忌を解除したさいに食べることのできる神聖な魚とされていた(Titcomb, 1972)。(秋道智弥『海洋民族学』)

 カツオは神聖な魚。祖先とされることもあるが、鮫には叶わない。しかし、カツオは鮫を伴うので、同一視される面もある。

 島人はカツオを食べる。日常的に。成人儀礼は、カツオを通して行なわれる。カツオへの変態も思考されている。それは海の死霊の頭部がカツオであることにも示されている。カツオを食べる、だからカツオになる。死後、それが明瞭になる。成人儀礼では、そのカツオへの変態が行なわれる。

 ソロモン諸島では、死は「移行」の段階にあり、動物への転生信仰がある。そこで、成人儀礼では、カツオへの転生が演じられる。

 カツオは女性に対してネガティブに働く。


『ソロモン諸島の生活誌』

『海洋民族学―海のナチュラリストたち (Natural History)』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/11

マライタ島とマキラ島

 ソロモン諸島のマライタ島とマキラ島の違いを掴んでおきたい。

 どちらも、地上の高い(沖の島)。死は「移行」の段階にある。棚瀬の資料からは、マキラ島のほうが転生信仰が強いようにみえる。

サー族のあいだでは、カツオとサメに対する信仰が発達している。成人式をむかえる若者は一時的に隔離され、その後、成人に達した男が少年たちとともにカヌーにのりこみ、カツオ釣りをおこなわせる儀礼がおこなわれた。少年たちやカツオ初漁のことは、ともにマラオフとよばれた。初物のカツオは神聖なものとされ、司祭のみがカヌー小屋で生食し、少年たちはこれを煮て食べた。

 サーの人びとによると、カツオをもたらすのはサメであるとされていた。サメには二種類あり、一つは人食いザメ、ワシで、人間世界とは縁のない恐ろしい存在である。もう一つは祖先の死霊そのものをあらわすサメ、パウエである。パウエは、サーの人びとの守護神的な存在で、人間とおなじような固有の名称がつけられている。すなわち、サメは祖先霊であり、人びとにカツオをもたらしたり、人食いザメから人間を保護し、あるいは水先案内人の役割をはたす。(秋道智弥『海人の民族学―サンゴ礁を超えて』)。

 これをみると、「人間世界とは縁のない恐ろしい存在」という人食い鮫の位相は、マキラ島(Aoriki)の鮫の位相と同じで、パウエの「守護神的な存在」は、マキラ島(Aoriki)のカツオと同じ位相にあるように見える。

 いままでの資料からはマキラ島において、鮫が祖先とされているのかどうかは確認されない。

ソロモン諸島のウラワの漁民やマライタ島のサー族は、海の霊のふるさとはサン・クリストヴァル(マキラ島-引用者)にあると考えている。(同前)

 これは面白い。転生信仰を発達させたマキラ島で、「海の霊」の概念は育ったのではないだろうか。

 以下、棚瀬の『他界観念の原始形態』から。

マライタ島

アカロ:夢で外出し、死で離脱。首長、戦士、成功者はサカ(霊力)を持ち、リオアになる。

死霊は、サアのある地点に泳ぐ。→Ulawa→’Olu Malau→サンクリトヴァルのHada→ガダルカナルのマラウ沖の二つの小島(Marape)。子供は死霊のひとつの島に住み、大人の死霊はもうひとつの島に住む。大人は子供の喧しさに煩わされない。死霊は島でこの世と似た生活を送る。この生活は永遠ではなく、一般人の単なるアカロ(霊魂)は白蟻の巣となり、より強力な死霊に食われる(P.169)

一般の人の死体は埋葬するが、骨が腐るとただちに取り出して、側に積み上げる。水葬もある。死者のココナツやパンの木は友人が切り倒す。


マキラ島

アダロ:影。人間の悪意あるやっかいな部分。
アウンガ:水や鏡に映る映像。平和なよい部分。

アウンガは、死の当日、あの世への旅に出る。アウンガには霊質の意味が強い。
アダロ:10日目の儀礼の、肉が腐り落ちる頃に身体を離れる。アダロはマナを持っている。頭蓋、石像、丸石、動物、魚、蛇、鳥、木に宿る。頭は生存中、生命の中心とされているから、頭蓋はアダロのよい住み家である。アダロは動物に憑く。鮫、蛇、亀、鷹などが多い。サンクリストヴァルの島人はアダロを崇拝する。

アタロイは近くの三つの小島に行く。

一般の人の死体は海に投ずる(コドリントン)。広場にさらし柵で囲んでおくが、姿勢は膝に手を置いた坐位(リヴァース)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/10

ソロモン諸島の半魚人イメージ

 ソロモン諸島では、カツオは食物として高い価値を持つだけではなく、超自然的な属性を持つ。

たとえばソロモン諸島の海の霊は、半人半魚の形をしているとイメージされている。その頭はカツオの形をしている(Codrington, 1972).(『海洋民族学』)

 コドリントンは、「The Melanesians : studies in their anthropology and folklore」のなかで書いている。

南東ソロモン諸島では、海に出没する死霊(ghost)は、人々の想像力を捉えていて、彼らは、それを描いたり彫刻したりするのを好む。見ると、死霊(ghost)がどのように想像されているかよく分かる。(p.258)

 として、島人が描いたイラストを紹介している。

Sea_ghost

 よりフォーカスするために、コドリントンの先の記述を前後を含めてみる。

 一般人の死体は海に投げ込まれるが、偉人の場合は埋葬される。頭蓋、歯、指の骨は取り出されて村の社に保存される。それゆえ、陸の死霊と海の死霊がいることになる。彼らは墓や遺物のあたりに出没し、話しているのが聞こえる。その姿は最近、死んだ者の形をしていて、声はうつろにささやいている。(中略)彼らは互いに霊的な武器で闘うと信じられている。(中略)

 南東ソロモン諸島では、海に出没する死霊(ghost)は、人々の想像力を捉えていて、彼らは、それを描いたり彫刻したりするのを好む。見ると、死霊(ghost)がどのように想像されているかよく分かる。(p.258)

 海に出没する死霊(ghost)は、海による変化を受けていて、できるだけたくさんの魚で構成されている。槍や矢は、長い体長のダツやトビウオでできている。カヌー航海から戻る途中や岩釣りをした人が病気になると、それは海の死霊に打たれたからである。島人はアレカ・ナッツや食糧を波間に投げて死霊をなだめ、怒りは祈りでしずめられる。

 鮫もまた霊魂を持っている。死ねば鮫になると予言した人の死霊が鮫のなかに入る。これらの島では、死の儀礼のときに、死者の分け前として火中に食糧を投げ入れる。偉人の場合は、木彫りに刻んで、舟庫に安置したり、死の儀礼の際、台上に安置して、そこに食物を手向けたりする。

 こうしてみると、「海の霊」、「半人半魚の形」、「その頭はカツオ」というのは、どれもコドリントンではなく、秋道智弥が解釈、判断したものだと分かる。

 こうした島人が描いたイラストを、秋道は、他にも紹介している。より秀逸なものを。

Photo

 この絵は素晴らしい。しかし、出典元に表記している「半魚人(Rivers, 1968)」を手がかりに、それと思しきRiversの「The history of Melanesian society」に当たってみるが、この画像には出くわさない。

 秋道は、同じイラストを『海から見た日本文化 (海と列島文化)』でも、『海人の民族学-サンゴ礁を超えて』でも紹介しているのだが、どれも出典元は書いていない。

 最近、出典元不明に悩まされているが、こうなったら、直接、秋道さんに尋ねるしかないだろう。そういう機会があるといいのだが。

 コドリントンは、死霊(ghost)と精霊(spirits)は区別すべきだと西洋人に説いた人だが、死者の霊が半魚人になるわけではないから、これを「海の霊」とする秋道の記述は、「海の死霊」というほうがより正確なのだと思う。島人が好んで描くというところには、彼らの転生信仰も寄与していると思える。可視化が進んでいるのだ。

『海洋民族学―海のナチュラリストたち (Natural History)』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/09

アオリキ島のカツオ・イニシエーション

 ダヴェンポートによるソロモン諸島アオリキ島のカツオ儀礼の様子。彼が記録したのは、1966年の4月から9月までのイニシエーションで、6歳から12歳までの少年が参加している。ところどころ怪しいが、訳しておく。

 カツオとの一体化を核にした儀礼内容は、ジュゴンを考えるうえでも示唆的だと思う。

Male Initiation in Aoriki, Man and the Spirits in the Eastern Solomon Islands文章のみ

 カツオ・カヌーが通過点を通ってカヌーハウスに戻るとき、乗組員は、漁の成功の如何にかかわらず、最初はパドリングの姿勢で、後には叫びながら知らせる。うまく言ったといえば、それはたちまち広がって、ほとんどの人がしていることを止めて、着岸を見に来てしまう。男はカヌーハウスの前に集まり、女たちは、カヌーハウスの前に行くこともカヌーに近づくことも許されず、見晴らしのよい場所から眺める。イニシエーションの場合、捕れたカツオの数と同じ数のグループが、儀式のためにカヌーハウスに連れて行かれるのは本当だ。はじめのイニシエーションを受けるのは、通常、その時のイニシエーションを世話を名乗り出た最も熱意のある父の息子が受けることになる。少年はそれぞれ、カヌーに戻って、船底の魚たちの中に仰向けになって、頭を上にした一匹のカツオを抱きついた状態で寝かせられる。女たちは、近くの浜辺や干瀬から、泣き叫んで、「彼女たちの息子」から「カツオの場」nに隔離されるのを抗議する。少年はカヌーハウスに隔離されるので、女たちは数ヵ月、子供を見ることができない。そして戻ってきたとき、彼らはもはや子供ではなく、霊的な意味で大人になっている。儀礼のあいだ、カツオカヌーで最初に海へ行ったときには、少年の母は素早くヤム芋を焼く。カヌー航海から戻ると、少年はカヌーで、次の最も重要なイニシエーションを持ちこたえるために、記念の食べ物をひと口食べる。

 カヌーから変わって、イニシエーションはカヌーハウスの前にある祭台で行なわれる。全てのカツオが最初に置かれるのもここになる。参加者の父か別の年長の男が、カヌーからカツオの頭を左にして、両腕で抱きかかえて、祭台のそばに立っている別の男に運ぶ。渡される男は、儀礼のなかで最も神秘的な部分を実行する、代々引き継がれた力を持っている。日常の生活のなかでは、彼はふつうの男だけれど、儀礼のなかでは聖なる人間であり、ふさわしい敬意と尊敬を受けている。変態の儀礼は、いくつかの型で9回(?)行なわれる。捕ったカツオの血を、カツオの口から数滴、少年の口に落とす、カツオの鼻先を少年の身体につける、あるいは、カヌーから捕った潮水をカツオの血に混ぜて塗る。しかしどの場合でも、儀礼を行なう者は、ふさわしい呪文が唱えられる。

 1966年の最年少の少年たちは、儀礼の執行者に背を向けて、彼は、それぞれの頬、肩、身体の側面、尻、太ももと膝に触れる。年長の少年たちは、彼らの口に血を受け取る。後者の方の効き目は、年少の少年たちは体力を回復できないのではないかと思うほど強力であるように感じられる。呪文で力をつけられたカツオのエッセンスを受け取ると、少年たちは、とても歩くことすらできないほど弱っているかのように、カヌーハウスに準備されたベッドに連れられる。カツオに触れた者は、数時間はそこに残り、血を受けた者はさらに長くそこで静かにしていなければならなかった。儀礼から受けた衝撃から身体を守り、儀礼のあとにすぐに動き回れるようにするために。それはイニシエーションを受ける者を危険にさらす可能性がある。イニシエーションを受ける者は、家族とふつうの生活に戻る印になる主な祝宴の準備が整えられるまで、住居地域の全ての女と環境から何か月も隔離されていなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/08

波照間島のザン儀礼

 国分直一が波照間島でのジュゴン儀礼について書いたのは、1978年が初出だと思う。

波照間では、ジュゴン狩の時には若者を船底にねかせ、若者をしてペニスをださしめ、藁でしばるという(北見俊夫氏の波照間での調査書きによる)。

『海上の道 論集』国分直一 編、大和書房、1978

 以来、79年も同様で、

琉球波照間でジュゴンを猟穫する際、若者をサバニにねかせて男根を露呈させる呪術が北見俊夫によって採集されている。

「山と海をめぐる信仰」「どるめん No.15」1979

  としている。ぼくが気になるのは、その北見俊夫のものになる出典情報だ。

海の動物の主が女性であることは、琉球波照間でのジュゴン狩りにおいて、若者をサバニ(小舟)の底にねかせて男根を露呈させる呪術が北見俊夫によって報告されている。西表島大原では正月に、一年中に猟穫したイノシシの下顎を海浜にならべて、竜宮の女神に送り返すという話を聞いている。

「基層的生活文化の構造」『風土と文化日本列島の位相』小学館 1986

 しかし、8年後の86年においても、「報告されている」に留まり、北見がいつ、どこで報告したのかは明示されない。

北見俊夫氏は、波照間島で、ジュゴンを猟穫する際、若者をサバニにねかせて男根を露呈させる呪術があったという例を採集したという。この呪術は、山の神と男根のかかわりと同様、男根を提示することによって女性海神への手向けとし、よって豊漁を得ようとする営みにほかならない。

『熊野山海民俗考』野本寛一、人文書院、1990

 90年に入り、引用する野本にいたっては、もはや伝聞情報になっている。

 谷川健一の出典元不明について呆れている矢先なので、国分さんあなたまでも、と思いかけたが、北見本人の1986年の著作にようやく見つけることができた。時間をかけたので、引用しておきたい。

波照間島から沖縄本島やそれ以北へ航海するとき、石垣島の北西沖に進路をとる。観音崎を過ぎると、オモト連山が石崎で海に涯(は)てるあたり、川平部落北方の半島部に、南は仲間岳、北は獅子岳が双子丘の頭を並べ、崎枝部落の低地の彼方に、恰も乳首に似た姿をあらわす。船がこの位置にさしかかると同乗している初航海の男子に、年輩者が難題をもちかける。タマガイ(サザエに似た巻貝)に飯(ンボン)うぃ炊いて出せというのであり、これは出来ない相談なので裸にして陰茎を藁で括る。この海域には海辺聖地としてスグヂ御嶽という拝所があり、その祭神は竜宮紳を祀っている。与那国・西表・波照間などから北上する航路における一つの海域境界の間隔でとらえられている場所である。因みに、波照間島では、廻船でなくとも類似の呪いが漁撈の際行なわれる。ザンを獲るとき、一人が二人の青年を船底に寝かせ、陰茎を藁で括る。この呪いをしないと魚獲はないと信じられていた。海域境界以外にも、このような呪術的演戯が行なわれていたのである。(p.765)。

『日本海上交通史の研究 民俗文化史的考察』法政大学出版局、1986

 北見は、ザン儀礼について、「筆者調査、昭和四六年」と記している。

 ここでようやく本人の報告を得ることができたわけだ。少し調べてみると、1976年に同名の博士論文が出されているので、北見はそこでザン儀礼の報告をした。それを見る機会のあった国分は、「報告されている」と自分の文章で引用し、1986年の北見自身の出版まで、出典元は詳らかにしなかったことになる。で、野本は、北見本を知らないまま、国分の文章を引く形で伝聞情報化することになった。ことの経緯はこういうことになると思う。

 この記録は重要だ。ザン儀礼が、成人儀礼を兼ねる形でありえたことを示唆しているからだ。国分が書いている西表島大原の、「猟穫したイノシシの下顎を海浜にならべ」る例も重要であり、国分は「聞いている」というだけではなく、詳細を書いてほしかったところだ。

 
『日本海上交通史の研究―民俗文化史的考察』


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/07

「いとうみはやみり」と「暇乞い」 2

 謝名城の神歌について、比嘉政夫は、

 よかて、さめ、間切祝女、あぐるしち
 遊ぶ吾身(ワミ)の
 ねらがみ(海神や)
 じやんの口どと取ゆる(海馬の口を取る、即ち海馬に乗って行くの意)
 イトミハヤメリ

 と、島袋源七の『山原の土俗』のものを引いている。比嘉は、「二、三意味不詳の語もあるが」として後半のこの箇所を、

 村々を支配するノロよ、あなたにはこのようにあぐる(意味不詳)をして、満足であろう。私が神遊びをしてもてなしたニライ・カナイの神は、いま、儒艮のくつわをとって、ニライ・カナイに帰ろうとしている。サァ、急ごう。(「民間の祭り」『日本の古代信仰2』)

 と解している。比嘉は、「あぐる」を意味不詳として、おそらく島袋は「意味不詳」とみなした「イトミハヤメリ」は、「サァ、急ごう」と読んでいる。別のところでは、

 間切(村々)を支配する司祭者ノロよ、あなたはこのようにあぐる(未詳語)をして満足であろう。私(たち)が神遊びをしてもてなしたニライカナイの神は、いま、ジュゴンに乗ってニライカナイへ帰ろうとしている、サァ、急ごう。(「沖縄の村落と神がみ」『神々の祭祀』)

 と、更新されているが、言葉づかいを少し変えただけに留まっている。

 泉武は、「ジュゴンについての文化史的試論」のなかで、島袋源七の引いた神歌について、比嘉政夫ではなく、谷川健一の解釈を経由している。

(谷川は-引用者)出典を明らかにしていないが、「けっこうなことだ、村の祝女は。馬の鐙に足をかけて遊んでいる。常世の神の私は、人魚の口を取ってもう暇乞いをしよう」と訳した。これにより、島袋源七が『山原の土俗』に収載した歌の意味が明瞭になる。ジュゴンは海神祭では神の乗り物として、ニライからやってきて、祭りが終われば帰ることが歌われる。海神祭にかかわってニライに属する、神性をもつものと観念されたのである。(『日中交流の考古学』所収)

 谷川の引いた大宜味村の神唄は、ある意味では、「吾るニレー神」と、ニライカナイの神が語っていることが明瞭で、「暇乞(いとまぐ)い」の意味も明瞭であり、おあつらえ向きな引用元と解釈だ。谷川は、「じゃん」を「ザン」と書き改めるなど、意訳もしているので、出典が明示されていないことが、ぼくには危ういことに思える。

 しかし、これ以上追求しても、谷川の出典元は、現地で聞き取りでもしないかぎり、明らかにはならないようだ。
 

『日中交流の考古学』(2007)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/06

『珊瑚礁の思考』、刊行。

 文字を持たなかった時代の琉球弧の精神史、『珊瑚礁の思考』を出しました。

 琉球弧の「野生の科学(Wild Science)」を目指したものです。貝塚時代の南ヤポネシア像からは、本土の縄文時代との共通性も多く見い出せました。島人はもちろんですが、奄美や沖縄に行くと「あの世」と「この世」が近いと感じる方、日本の他界観の古層を知りたい方にも、ぜひ読んでほしいと思っています。ぼくも島について、「この世」と「あの世」がつながっていると感じてきましたが、その意味がやっと分かった気がしています。書き手としては、感想など聞かせていただけたら嬉しい限りです。

(しばらくこの記事をトップに表示させます。定期的に読んでいる方は、申し訳ないですが、日々の更新は下に表示されていますので、スクロールしてご覧ください。)

『珊瑚礁の思考 〔琉球弧から太平洋へ〕』

4_2

◆目次構成

はじめに 「ネシア」の野生の精神史  

 文字を持たなかった時代へ  
 霊力思考と霊魂思考の編み物.  
 琉球弧からヤポネシアへ、太平洋のネシアへ  
 ざわめきに背中を押されて

続きを読む "『珊瑚礁の思考』、刊行。"

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2016/01/05

「いとうみはやみり」と「暇乞い」

 大宜味村謝名城海神祭のおもろ<中庭にて>の後半部分。

 よかてさめ間切のろ  よかったね間切祝女は
 あぐるしち遊ぶ     鎧を引いて遊ぶ
 我身のねらがみや   我がネラ神は
 じやんの口どと取ゆる ジュゴンの口を取る
 いとうみはやみり    急ぎ早めよ (『沖縄県国頭郡誌』)

 (『南島歌謡大成1 沖縄篇 上 』外間守善、玉城政美編)

 島袋源七の『山原の土俗』では、大宜味城のものとして挙げている。同じ個所は、

 よかて、さめ、間切祝女、あぐるしち
 遊ぶ吾身(ワミ)の
 ねらがみ(海神や)
 じやんの口どと取ゆる(海馬の口を取る、即ち海馬に乗って行くの意)
 イトミハヤメリ

 とある。

 一方、谷川健一は、こう書いている。

 沖縄本島の北部の大宜味村でおこなわれる海神祭りのときに、祭りがすむと、神女たちは西の海のほうをむいて、海の神を送る。扇をもった手を残り惜しげに振りながら、

 ゆかちゃみ 間切祝女や
 鐙引ち遊ぶ
 吾るニレー神や
 ザンぬ口取やい 暇乞(いとまぐ)い

 とうたう。歌の意味は「けっこうなことだ、村の祝女は、馬の鐙に足をかけて遊んでいる。常世の神の私は、人魚(ザン)の口を取ってもう暇乞いをしよう」というもので、神女たちが海神の気持ちを代弁する。

 谷川の解説は、上のふたつの引用よりはるかに読みやすく理解しやすいものになっている。『南島歌謡大成1』では、「いとうみはやみり」は、「急ぎ早めよ」の意に解しているが、島袋源七が「イトミハヤメリ」とカタカナ表記のままにしたのは、意味が取れなかったからだと思える。上のふたつの神謡をもとに谷川が書いているとすれば、谷川はこれを「暇乞い」と解したことになる。

 しかし、「ザンぬ口取やい 暇乞(いとまぐ)い」とルビも振っているので、「いとうみはやみり」「イトミハヤメリ」ではなく、「いとまぐい」と歌われているとしているのだが、この出典がまたしても分からない。

 神謡では、「ザン」ではなく、「じやん」とされているので、ここは谷川が表記を改めたのだと思えるが、そういう操作を兼ねたものだとすると、なおさら出典が知りたくなる。

 そしてここでもまた、谷川の文章に依拠するわけにいかないと判断するしかなくなる。

 
『神・人間・動物―伝承を生きる世界』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/04

「イノーの寄物(新垣源勇)」1

 新垣源勇の「イノーの寄物(ユイムン)・遭難者のことなど (<特集>イノーの民俗)」「民俗文化 2」1990)から、ジュゴンについて。

 名護城ウンジャミの時に歌うウタカベ。

 うらめぐりめぐて     浦々を廻って
 じやんのくつふむ    ジャンのくつ踏み
 じやんのくつふむ    ジャンのくつ踏み
 をすかぜにふかさん  潮風にも吹かさない
 てるてだにもふかさん 照る日にもほさない

 新垣はこう書いている。

この歌に出てくる「ざんのくつ」は「ジュゴンの口」と解釈されているが、「ジュゴンの骨」とも解される。砂浜にちらばっている珊瑚の枝を「ジュゴンの骨」と言ったのではないか。ジュゴンも亀も沖縄では神聖なものとされている。潮風にも吹かさない、太陽にも晒さないと言った。

 これは面白い視点だと思う。当たっていなくても、少なくともジュゴンが聖なるものであるという本質には触れている。そしてこれが沖縄島北部の歌謡だということも、示唆するものがある。松井健は、ザンクチは、「さまにある角サンゴの小さな棒をいうが、これは、ジュゴンの骨という意味らしい」と指摘している(「マイナー・サブスシテムと琉球の特殊動物」)。

 与論島もウンジャミにも、ザンは登場していたのかもしれない。


  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/03

「おもろそうし」のザン

 「おもろそうし」で、ザン(ジュゴン)に関する歌謡を探すと、ふたつ目に入る。

9-505(30)
一 守り合い君 
  君にしやが いそこ
  波 つり*寄せ つり合わちへ
又 渡嘉敷の真ころ子
  真ころ子は 根 しやり
又 津口の潮の
  いふちへ 上がて来れば
又 新麦が
  おろ麦が 穂花
又 一の艫襲いぎや
  天のもの/\しや
又 亀 捕てる
  ざん 捕てるてやば
又 取らんてゝ
  知らんてゝ 知られゝ
  *二ておすこねる

一 もりあいきみ 
  きみにしやか いそこ
  なみ つりよせ つりあわちへ
又 とかしきのまころく
  まころくは ね しやり
又 つくちのしゆの
  いふちへ あかてくれは
又 あらむきやか
  おろむきやか ほはな
又 いちのともおそいきや
  あまのもの(/\)しや
又 かめ とてる
  さん とてるてやは
又 とらんてゝ/しらんてゝ しられゝ

 渡嘉敷島でもジュゴン猟は行われた。「潮が海岸の砂浜に上がってくると(津口の潮の いふちへ 上がて来れば)」というのは、満ち潮を指すだろうか。それはまだザン探索の頃合いになる。「渡嘉敷の真ころ子」というように、立派な海人の仕事だったのが窺える。


うちいではとまりみぢへりきよが節
11-650(95)
一 こまかの澪に 降れ 見物
又 久高の澪に
又 ざん網 結び降ろちへ
又 亀網 結び降ろちへ
又 ざん百 込めて
又 亀 百 込めて
又 ざん 百 取り遣り
又 亀百 取り遣り
又 沖膾 せゝと
又 へた膾 せゝと
又 手楫 選で 乗せて
又 沖走い立ての 競いて
又 干瀬走い立ての 競いて

一 こまかのみおに おれ みもん
又 くたかのみおに
又 さんあみ むすひおろちへ
又 かめあみ むすひおろちへ
又 さん ひやく こめて
又 かめ ひやく こめて
又 さん ひやく とりやり
又 かめ ひやく とりやり
又 おきなます せゝと
又 へたなます せゝと
又 てかち ゑらて のせて
又 おきはいたての いそいて
又 ひせはいたての いそいて

 久高島沖でも行った。久高は海人の島だから不思議はない。「沖膾」、「へた膾」というのは、獲り立ての獲物をその場でなますにすること、と解説されている。そういうことがあり得たのに関心をそそられる。

 「干瀬走い立て」は磯釣り船。ネーミングがいいね。


外間守善 『おもろさうし (上)』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/02

ジュゴンは添い寝して乳をやるのか

 髪を梳るという話もあるが、ザンのメスは一尺くらいの赤いたてがみをもっている。それよりもいっそう人間を思わせるのは、二つの盛り上がった乳房で子どもに乳をやるすがたであろう。人間が添い寝して乳をやるのとおなじように、ザンのメスは身体をよこたえ、乳をやる、かつての目撃者は語っている。(『神・人間・動物』)。

 まいどのことながら、谷川健一の出典不明には泣かされる。これは、谷川が直接聞いた話なのか、それとも伝聞情報なのか。

 一方では、

 ジュゴン=人魚となった理由として(中略)子供を鰭で抱いて乳をや飲ませている姿が人間に似ているからだともいわれている。これについては、多くの動物学者は、そういう姿が観察されたことはない、と否定的である(浅野長雄、松浦義雄、内田憲太郎)。浅野や松浦は、ジュゴンを強いて擬人化して考えたからだろうと言っている。(『日本の「人魚」像』)

 こうも言われているからだ。情報や引用の扱い方は恐ろしいものだと思う。たびたびあいまいなため、谷川の書くものの資料価値は、落ちざるを得ない。

 ただ、「ジュゴンを強いて擬人化して考えた」という判断には違和感がある。強いてそうしなくても、人は旺盛にそうするものだと思う。

 気分を変えると、『日本の「人魚」像』には、海牛類の分布が載っている。

Photo

 これとサンゴ礁の分布を合わせてみると、重なりあっているのが分かる。(cf.『サンゴとサンゴ礁のはなし』(本川達雄)。


『神・人間・動物―伝承を生きる世界』

『日本の「人魚」像―『日本書紀』からヨーロッパの「人魚」像の受容まで』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/01/01

よなたま、人魚、ザン(ジュゴン)

 「よなたま」、「ザン」、「ジュゴン」の表記の揺れを見てみる。

1.『宮古島旧史』1746

(よなたま)

2.南方熊楠「人魚の話」1910(明治43)

(人魚)=(ジュゴン)

今日、学者が人魚の話の起源と認むるは、ジュゴン(儒艮)とて、インド、マレー半島、豪州等に産する海獣じゃ。

3.大森義憲「諸国叢書 第13輯」1935(昭和10)

(ユナイタマ)=(人魚)

人魚に触れると不漁になる。ユナイタマにはふれないのがいちばんである。二人をる時は一人は魚と見、他の一人は人間に見る事がよくあるといふ。

4.江崎悌三「八重山遊記」1935(昭和10)

(ザンノ魚)=(人魚)=(儒艮)

5.島袋源七「沖縄における寄り物」『民間伝承』15巻11号(通巻162号)民間伝承の会、1951(昭和26)

(ザン)=(儒艮)

6.稲村賢敷『宮古島庶民史』1957(昭和32)

(人魚)=(よなたま)

よなたまという魚は人魚の一種で顔に嬰児の顔を見るようだとも言い、鳴き声も嬰児のそれにそっくり似ていると言う事である。

7.谷川健一『神・人間・動物』1974(昭和49)

(ザン)=(よなたま)=(ジュゴン)

 18世紀には、「よなたま」とだけあったのが、1935(昭和10)年には、「人魚」と同一視されている。また、同年には、ジュゴンが「人魚」と同一視されている。

 時代はくだって、1957(昭和32)には、「人魚」が「よなたま」だと言われている。

 この間、まず、「よなたま」が「人魚」と同一視され、次には「人魚」の概念が広くなり、「よなたま」は「人魚」の一種と見なされるにいたっている。

 ザンは「よなたま」という言い方はない。ザンは「人魚」ならある。「人魚」を介して「よなたま」と「ザン」み結びつく。三段論法なら、よって「ザン」は「よなたま」となるところだけれど、そう論理展開されているわけではない。

 よなたま⇔人魚⇐ザン

 そして、1974(昭和49)年、谷川健一が遠慮なく三者を等号で結んでいる。

 しかし、「ザン」を直接「よなたま」に結びつけていないあわいは大事なものだと思う。


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年12月 | トップページ | 2016年2月 »