「いとうみはやみり」と「暇乞い」 2
謝名城の神歌について、比嘉政夫は、
よかて、さめ、間切祝女、あぐるしち
遊ぶ吾身(ワミ)の
ねらがみ(海神や)
じやんの口どと取ゆる(海馬の口を取る、即ち海馬に乗って行くの意)
イトミハヤメリ
と、島袋源七の『山原の土俗』のものを引いている。比嘉は、「二、三意味不詳の語もあるが」として後半のこの箇所を、
村々を支配するノロよ、あなたにはこのようにあぐる(意味不詳)をして、満足であろう。私が神遊びをしてもてなしたニライ・カナイの神は、いま、儒艮のくつわをとって、ニライ・カナイに帰ろうとしている。サァ、急ごう。(「民間の祭り」『日本の古代信仰2』)
と解している。比嘉は、「あぐる」を意味不詳として、おそらく島袋は「意味不詳」とみなした「イトミハヤメリ」は、「サァ、急ごう」と読んでいる。別のところでは、
間切(村々)を支配する司祭者ノロよ、あなたはこのようにあぐる(未詳語)をして満足であろう。私(たち)が神遊びをしてもてなしたニライカナイの神は、いま、ジュゴンに乗ってニライカナイへ帰ろうとしている、サァ、急ごう。(「沖縄の村落と神がみ」『神々の祭祀』)
と、更新されているが、言葉づかいを少し変えただけに留まっている。
泉武は、「ジュゴンについての文化史的試論」のなかで、島袋源七の引いた神歌について、比嘉政夫ではなく、谷川健一の解釈を経由している。
(谷川は-引用者)出典を明らかにしていないが、「けっこうなことだ、村の祝女は。馬の鐙に足をかけて遊んでいる。常世の神の私は、人魚の口を取ってもう暇乞いをしよう」と訳した。これにより、島袋源七が『山原の土俗』に収載した歌の意味が明瞭になる。ジュゴンは海神祭では神の乗り物として、ニライからやってきて、祭りが終われば帰ることが歌われる。海神祭にかかわってニライに属する、神性をもつものと観念されたのである。(『日中交流の考古学』所収)
谷川の引いた大宜味村の神唄は、ある意味では、「吾るニレー神」と、ニライカナイの神が語っていることが明瞭で、「暇乞(いとまぐ)い」の意味も明瞭であり、おあつらえ向きな引用元と解釈だ。谷川は、「じゃん」を「ザン」と書き改めるなど、意訳もしているので、出典が明示されていないことが、ぼくには危ういことに思える。
しかし、これ以上追求しても、谷川の出典元は、現地で聞き取りでもしないかぎり、明らかにはならないようだ。
『日中交流の考古学』(2007)
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