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2015/12/07

「蝶形骨器」の時代2

 蝶形骨器が「蝶」をモチーフにしているなら、その発生は家内での殯の発生を前提にすると考えられる。あるいは、遊動生活のなかで樹上葬や放置的な葬法が採られていてもいいわけだが、ここでは、家屋内での葬送を前提にしてみる。しかし、それは遺跡として確認されているのか分からないので、風葬を手がかりにしみてる。

 貝塚時代前期に焦点を当てて、崖葬墓を確認すると、下記の表が得られる。

Photo
(片桐千亜紀の「琉球列島における先史時代の崖葬墓」)

 崖葬墓は、前4期には出現している。崖葬墓の年代を測るのは難しいにしても、前3期には「遊動」から「定着」に入るから矛盾はしていない。もう少し言えば、前3期に年代測定される遺跡が出てきてもおかしくない。古我地貝塚から出土した「蝶形骨器」は古形とされていて、それは前3期とされている。

 一方の「蝶形骨器」は、前4期に測定されているものがほとんどだ。ただ、「蝶形骨器」が出土された場所と崖葬墓の遺跡とが、近接するようなおあつらえ向きの事例はない。

 でも、ぼくたちの仮定からすると、「蝶形骨器」が出土した場所近くの崖葬墓の骨は、その「蝶形骨器」と同じ年代であっておかしくないことになる。

 cf.「蝶形骨器」の時代

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