トレス海峡のジュゴン猟(松本博之)
松本博之の「『潮時』の風景-自然と身体」(「地理学報」32号、1997)から、トレス海峡におけるジュゴン猟について備忘しておく。
トレス海峡は6000年前まで、オーストラリアとニューギニアをつなぐ陸地だった。サフルランドの大陸棚の一部。
潮が引くと海岸線は沖合に退く。沖合の海域のあちこちにサンゴ礁ばかりか、広大な砂堆(さたい)が現われる。巨大なシマ(洲)も。
ジュゴンは人間についでもっとも親しんできた哺乳類。ウミガメを「目のいい奴(プルカライ)」と呼ぶのに対比して、ジュゴンを「耳のいい奴(カウラライ)」と呼ぶ。方向感覚もいい。「あいつらはコンパスを持っている」と島人は言い、解体の過程で、そのコンパスと考えている食道の一部を生食することもある。食糧としてのジュゴンと、親近感を抱く生き物としてのジュゴンを二つの核として、島人のジュゴンをめぐる「自然」はつむぎだされている。
7、8月には、水深4メートル以浅の海域でジュゴン猟は行われる。満潮に近いころ、リーフを越える。乗り組むのは3名。モリ打ち人と中の男、船尾の男(エンジン操作者)。ジュゴンは満ち潮にのって島やサンゴ礁周辺の浅瀬の藻場に近づき、引き潮にのって沖合に戻っていく。
耳のよいジュゴンに気づかれないように、狩猟場からかなり離れたところでエンジンを止め、櫂でこぐ。その後は一切物音を立てない。息をかみ殺し、追い風を利用するために南東貿易風(ないし東風)を背に受けながら、ハンターが見につけている腰布のラバラバを船首で広げ、小さな帆として東から西へ船を流していく。
浮いていたり息吹きするジュゴンそのものばかりか、根こじされた海藻、排泄物、行跡、泡立ちなど、水面下のジュゴンのきざしを見つけようとする。傍目には押し黙ったまま、大海原で悠長に潮と風の流れるままに身をまかせているようにみえる。それこそ風や潮と一体化して、人の気配を風音と波音のなかに消してしまおうとする。待ちと忍耐の狩猟なのだ。かつてモリ打ち台から行なわれた狩猟の際には、おびき寄せるためにジュゴンの息吹きを真似ることもあったらしい。
ジュゴンは二分に一度の割合で長い顔の先端にある鼻孔の弁をひらいて息をつく。その瞬間がモリ打ちの唯一のチャンス。その間わずか2、3秒。表皮が堅く、皮下脂肪が厚いので、モリ打ち人はモリを持ったまま体重をのせジュゴンの上へ倒れ込むように船外へ跳び出す。モリ打ち人になると一人前とみなされるが、自他ともに認める正真正銘のモリ打ち人は数人に過ぎない。
ヤム島では、他の生き物とは比べ物にならないほど、ヤムの島人に敬意を払われ、人間と同じようにみなされているらしい。一方で肉の味や香りを楽しんでいるにもかかわらず、捕獲したとき憐れむような表情を浮かべるという。
ジュゴンは墓碑の除幕式(二次葬)や、さまざまな儀礼後の祝宴に不可欠な最高の食べ物である。また、マブヤグ島ではトーテムのひとつ。ワニ、犬、マダラエイ、ジュゴン。「人は死ぬと、トーテムに時を移す」。
ジュゴンの息吹きに耳を澄ます
海は深さを増し、
流れはますます速くなる
海はもっと深くなる
ジュゴンの息吹きに耳を澄ます
まもなく、顔を出すだろう
この詩もいい。
ジュゴンは、成長段階による命名がある。段階によって満ち潮は6段階、引き潮は5段階の呼び分けられている。
かれらの持つ物語のなかには、人間がココヤシの実の殻や浮力の大きいある種の樹木で作った外皮をかぶって、犬やジュゴンに変身する説話が語られている。
「犬」は分からないけれど、ワニ、マダラエイ、ジュゴンというトーテムは、後藤明の分析にしたがえば、「鰐」型だ。(cf.『「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話』(後藤明))。これらはトレス海峡の島人にとってサンゴ礁が生れてからの新しいトーテム群を指すのだろう。
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