「沖縄縄文時代の蝶形骨製品」(金子浩昌)
金子浩昌の「沖縄縄文時代の蝶形骨製品-その素材と形態について-」(MUSEUM 東京国立博物館研究誌 No.649)は、図表も充実していて素晴らしいので、それに添って考えてみたい。
まずは、実物。
上と下では別々の製品だ。赤をバックにしているのは、これらが朱色に塗られた例があるのにちなんだものだと思う。
実際の蝶との比較も素晴らしい。金子の見立てに添うと、単純に形態が似ているというだけではなく、中室、脈、尾状突起もデザイン化されているということは、これはやはり「蝶」だと確信できるように思えてくる。
また、この分布もありがたい。以前、地図化を試みたが(cf.「蝶形骨器の時代」)、これは製品も掲載されていて一覧性がぐんと上がる。分布でビッグ・ニュースだったのは、沖永良部島西原海岸遺跡からも出土したことだ。沖縄島だけではない、ということだ。
蝶形製品は、ジュゴンの骨が使われる。その部位、肩甲骨や肋骨、下顎骨が具体的に分かる。
また、その部位のどの部分を使ったが、これで分かる。
硬いジュゴンの骨を切断し、さらにかたちを整え彫刻するにはよほど切れ味をもつ刀器が必要であったはずである。
それは同時に、「蝶形製品」が共同体にとってどれほど重要だったかを示すものだ。
チョウを表現した文様は、南島地域を除いた日本列島の縄文文化の中では類例がない。この時代に人々が動物との関わりを具象的に表現しようと試みた製品には土製、骨角製の動物形製品があるが、これにチョウをみることはない。少なくとも写実的に表現されたものの中には見出し難い。
蝶に死者の霊魂を見たのは本土も同じだが、これを特別視する精神の位相が、琉球弧には存在したということだ。
蝶形骨製品の用途について島袋春美氏は具体的な装着例がないことから装身具としての用途に限定できないとし、また単一式から結合式への大型化を考えると「何らかのシンボル的な意味を持った使用用途が考えられる」と述べ、チョウとの精神面の繋がりについては、遺物として「蝶形骨製品はジュゴンという沖縄的素材とニライカナイの使者「蝶」が融合してつくられた考古学的な製品である」と説明し、沖縄諸島には現代でもチョウを神の使いとする信仰や伝承が残っていることを具体的にあげている。筆者も蝶形骨製品はその多くが大形で装身具としての範疇を超えていると考える。島袋氏の述べるチョウのシンボル的な用途というのはまさしくその通りである。
思うに、これは装身具の用途に限定できるのではないだろうか。大型化もそれを妨げないと思う。大型といっても、最大のもので横が21cmほどだから、それほどでもない。ストラップや腕輪などの装身具感覚からすれば大きいというだけだ。
また、ジュゴンは、「沖縄的素材」というより、琉球弧的なトーテムの系列に位置する動物だ。ニライカナイの「使者」というのも、この場合は適切ではない。当時、ニライカナイの原義に当たる言葉は存在した可能性はあるが、ニライカナイは海の彼方ではないし、蝶も「使者」にはなっていない。当時は、トーテム的な祖先という存在だったはずだ。
蝶形骨器は、これを装着することで、蝶-人間としての祖先を現わした。装着したのは、もちろん、シャーマンである。これは、頭に蛇を戴いた祝女の従者の少女アラボレと同位相にあるものだ。
金子の論文は、その確信を深めてくれるように思う。
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