「蝶形骨器」から「背守り」へ
琉球縄文のシャーマンを祖先へと化身させた「蝶形骨器」は、祝女の霊力を高める衣裳として、装身具として、三角形に形態化され、あるいは、玉ハベラのように名称のなかに封じ込められまでもして、継承されてきた。
けれどそれは、ふつうの島人にも手渡されてきている。下野敏見は大事なことを書いている。
産衣(うぶぎ)は巫装ではないが、ノロの胴衣(どぎん)と同じく体に着けるだいじな着物である。吐噶喇では産衣をオプキンというが、その装飾の発想が奄美の胴衣によく似ているのである。まず、背縫いの飾りがタテとヨコの直線縫い(九字紋)に斜線を入れてたくさんの三角紋をこしらえ、さらに小さな赤布三角袋をいくつも(九つの例が多い)付けていて、その袋の中には米粒を三粒ずつ入れてある。背当ては、幼児の魂はそこから抜け、悪魔もそこから入りやすいというので、そうならないための呪(まじな)いである。そこに、九字紋、三角紋、赤色の三角袋という悪魔除けの装置が幾通りも付けられているのである。オプキンの背縫いは、背の上部文だけに取り付けられているが、たくさんの三角紋を付けてあるのは胴衣の場合と同じ発想である。
蝶をモチーフにし、蝶の霊力を体現した島人の創造物は、赤ちゃんの背守りとして、後ろ首に止まることになる。このトカラの例は、期せずして、赤という色まで継承している。
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