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2015/12/17

「もの言う南海の人魚-儒艮」(谷川健一)

 谷川健一の「もの言う南海の人魚-儒艮」。なぜかこの文章はドキドキした。

 ゆかちゃみ 間切祝女や
 鐙引ち遊ぶ
 吾るニレー神や
 ザンぬ口取やい 暇乞い

 大宜味村の海神祭りで、神を見送るときに歌う。扇を名残惜しげに振りながら。「人魚の口を取ってもうお暇しよう」、と神を代弁して。

 馬は神の乗り物で祝女が乗るが、ザンはニライの神の乗り物。

 儒艮を、琉球弧では、「ザンの魚(いお)」と呼ぶ。琉球王府の公用書では、「海馬」と書く。

 谷川は、柳田の説を引き、「よなたま」の意味を海霊とみなしている。「よな」は、砂州が原義だから、砂浜に寄る霊のほうが近いのではないだろうか。言ってみれば、珊瑚礁の海の霊だ。

 ザンが津波を起こすという伝承を受けて、谷川は書いている。

 しかし、ザンを不吉なものとするようになったのは後代のことと考えられる。なぜならザンの肉をとってたべ、あるいはザンを先祖とする人びとが、ザンをみてそこに凶兆をおぼえたはずはないからである。むしろ強い親愛感を抱いていたにちがいない。

 不吉に感じたのは後代という見なしには共感するが、知りたいのは、「ザンを先祖とする人びと」の実際の言葉だ。出典不明なところ、谷川にはよく泣かされる。

 スクについて、面白いことが書かれている。スクの寄る前には必ず時化になるのは、時化にスクが運ばれたということだろうが、スクが時化を予知する魚であると信じられもした。伊計島では、スクは、ウンジャミ、スク、ティダハニスクと呼ばれた。しかもこれらのスクは、シヌグ、またはウンジャミ(海神)の季節に寄ってくる。ということは、スクとのあいだには必然的なつながりがあるはずだ。

スクという名称はニールスクのスクと関係があり、スク(底)の魚という意味だろうとおもわれる。つまりニールスク(ニライカナイ)からもたらされる神聖な魚であった。だからこそ、それからシヌグやウンジャミなどの海の神の祭りと関係があり、その祭りのおこなわれる時分に寄ってくると信じられた。

 これはかなり魅力的な考えだ。スクが「底の魚」ということが。しかし、あまりにおあつらえ向き過ぎて、ぼくには言い切る気になれない。スクが寄るようになったのは、もちろん珊瑚礁ができてからだ。そのとき、ニーラスクという言葉はあっただろうが、この言い方は島によってさまざまだ。そこに共通のスク(シュク)という名称を想定していいのか、ためらわれる。松山光秀によれば、徳之島では、シュクは成長段階に応じて、シュク、モハン、ワタブタ、アイヌックヮ、フルアイヌックヮと呼ばれた。この呼称の細分化は、スクの存在の大きさを教えるが、言い換えれば、島ごとの呼称もさまざまだったことが示唆される。

 ザンに戻ろう。ザンのヒレには五本の指があり、三つの関節があって握力の存在を裏づける。メスには隆起した二つの乳房があり、薄い腋毛も陰毛もある。雄雌ともに人間そっくりの性器もある。息を吸う。馬のような赤ん坊のような声を出す。人間が添い寝して乳をやるように授乳する。子供が捕えられると、母親のザンは涙を流す。

そのあまりの類似ぶりに人は心を動かさずにはすまない。こうしうた動物が海のただなかにいるときに、それを「海霊(よなたま)」とみなしたのは当然である。

 また、そう呼ばれたのは、「沖から海岸にむかってよってくるからでもあった」。

 ザンには「ザン女房」の伝承がある。

 ザンをとるには、四、五日から一週間くらい海上で過ごさなければならない。新城の島人は、ザンをとる前には必ず「ザンの御嶽」と呼ぶ場所に集まり、神女たちを先頭に立てて漁の祈願をする。イショウ・ウガンという。イショウとは漁のこと。

 まず、海の底にもぐって、ザンが鼻先で海藻をつついた跡を調べる。食跡はまっすぐにのびている。網はアダンの気根からつくる。引き潮になると、二艘の船はしだいに網をたぐって相互の間隔を縮めて海岸のほうに引き寄せる。網にかこまれたザンはあばれる。ザンの前にうっかりでようものなら、ザンは人間の手のような胸ビレで引き寄せる。ザンに抱きすくめられると、漁師は即死する。そこで折を見計らい、二人の漁師が尾びれを二、三回打って逃げる。ザンは痛さのあまり立ちあがって、尾びれでつよく潮を蹴り、その拍子にひっくり返る。そのとき、尾びれの骨が折れる。

その音を聞くと海中に立ったまま息を凝らしていた漁夫たちは、歓呼の声をあげ、思わず泣いたという。

 発掘されたザン骨は、頭蓋が打ち割られているので、ぼくたちが追っている時代は、もっとワイルドな漁法だったと思える。

 二艘の船はザンを捕ったときのよろこびの歌をうたいながら帰島する。船が見えると、島人は叫びながら浜にかけおり、出迎える。

 ザン見るんで 走りき
 亀見るんで 飛びやき

 「あまりに急いだために、若い娘がザンの夫婦につまずいてひっくりかえり、自分の恥部をさらけ出してしまった」という民謡もある。

 新城島の節祭りの巻踊りで歌われる。ザンとりの風景をみんなでうたって楽しむが、巻踊りはできるだけ男女が交互に輪をつくって踊ったといわれる。若い乙女を真ん中に置き、ザンに見立て、まわりの輪を網のようにみたてて、しだいに輪を縮め、ザンをとるときの仕草をまねるものもあった。

 陸にあげたザンは、「ザンの御嶽」に引っ張っていって感謝の祈りをささげて、頭骨は御嶽に奉納し、肉は島人が煮て食べた。内臓も食べたが、煮て脂をとり灯用に使うこともあった。お産が長引くと、ザンの皮の切れ端を削って汁をつくって飲ませた。お産が軽くすむように、と。

 この漁の一部始終は、本土の鯨漁を思わせる。琉球弧の鯨漁の実態を知らないが、きっとこれと共通するものが多いだろう。下地島の御嶽にはザンの頭骨がうず高く置かれていたという。これは、貝塚を引き継いだ光景ではないだろうか。

 ザンは砂州の海の霊力を象徴した。先祖とした人々がいるか、確かめられない。しかし、神の乗り物として、神の使いではあった。ザンは人間に化身する。人間に似ている。霊力思考を駆使しなくても、あまりに似ている。トーテムとは見なせないけれど、とても近しい間柄だったと思える。

 トーテムとして、人間との関係を結ぶという側面と、砂州の海の霊力として自然の側にいる面と、ザンは両義性を持っている。これがスクになれば、人間との親縁関係は薄れ、自然の側という側面が強くなる。

 貝塚にザンが積まれた頃、「あの世」は地先の島だった。島と地先の島を行き来する魚としてザンはいた。それが、神の乗り物になった由来ではないだろうか。

 

『神・人間・動物―伝承を生きる世界』

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