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2015/12/03

天の他界への契機

 天界が他界と思われるようになるひとつの契機は、高神の発生だと思える。それは、天に昇るのが最終年忌にしばしば現れることに示されている。

 宇検村では、三十三年忌に、「天に昇りんしょうれ」と言って拝む。最後の供養のときに、墓地に木を立てて燃やし、その煙で、天に昇るとするところもある。竜郷では、三十三年忌に、「天とうに昇れ」と言って墓に薄を刺す。

 徳之島徳和瀬では、三十三年忌に、墓石に建てた椎の木の下に枯葉の枝を立てて、位牌とともに焼く。そして、「はれ天とお押し上げて、神どなれていぃ」とを繰り返す。与論島では、「今日で三十三年忌を終りました。今後はタカガミとなって子孫を見守ってください」と唱える(大山彦一)。

 木を焼いて天に昇り神になるというのは、高神が木に降下するのを逆に辿ったものだ。神になるタイミングが、天と結びつくことは、天の他界が高神を契機にしているのを示している。

 もうひとつは、オーストラリアや北方アジアで見られるように、広大な土地を遊動する種族が、移動の体験を媒介に天の他界を考える場合だ。

 琉球弧で、それが当てはまるのは、星を頼りに航海せざるをえない宮古諸島だと思う。池間島の北端には、小高い山があって、ここを昔から「北の部落の天へ昇る道」と呼んだ。その付近は恐ろしいところだっと言って、ふだん島人は行きたがらない。

 宮古島にとって池間島は、他界の島だったと見なしてきたが、その池間島では、北の小高い山が他界であり、生と死の分離以後は、天へ移行したことが示されている。

 (参照は、酒井卯作の『琉球列島における死霊祭祀の構造』から)

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