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2015/11/24

希薄な死と希薄な同性愛をつなぐもの

 八重山のアカマタ・クロマタ祭儀の背後で行なわれている男子結社への加入儀礼において、象徴的な死への接近が弱いことと、儀礼的な同性愛が希薄なこととを、それぞれ別の二つの特徴として捉えてきた。

 しかし、これはつながっているのかもしれない。象徴的な死への接近が弱ければ、男性同士の結束が強い必然性もなくなる。それは、儀礼的な同性愛が弱められることを意味するのではないだろうか。

 象徴的な死への接近が弱いということは、言い換えれば、まだ再生の原理が命脈を絶たれていないことを示していると思える。人間は再生しないという認識を経て、人間の生のうちに、象徴的な死と再生は組み込まれるようになった。そう考えるのだ。

 森山公夫は、「シャーマニズムと狂気(3)」のなかで、成人儀礼のなかに、「人間を殺せ」という命令がくだされるところがあるが、この過酷さは、「おそらく過去の人類形成史上の或る不幸な過程の表現である以外にない」としている。これは、「人間を殺す」という過程が、「楽園追放」のなかで起きていることを森山は見ているのだと思えるが、これはそうではなく、人間が死を受容したことを反映しているのではないだろうか。

cf.「メラネシアの「儀礼的同性愛」の系譜」

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