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2015/11/16

『沖縄の戦後思想を考える』(鹿野政直)

 鹿野政直は、沖縄の戦後思想をテーマに一冊をものにしている。とはいえ、鹿野の主張は控えめで、さまざま思想の担い手たちの紹介に留めているので、この書を思想の概観を捉えるガイドブックとして読むことができる。

 テキストのように、ここからさまざまなテーマに斬りこんでいけるはずだが、まずは、「復帰運動観」を一瞥してみる。

 鹿野は、その思想的な意味を「自己決定の追求」としている。

 ただその場合、自己決定の自己とは何かが問われる必要があります。こういう問いの立て方は、精神的にきついでのすが、あえてその問いをまえに、こんな構図を描きたいと思います。主語を沖縄人(沖縄の人びと)とし、「国民」という言葉に照らすとき、琉球処分に始まる時期は、「沖縄の人びとが「国民」へ連行されていった時代」、それにたいして占領を基底条件とする戦後は、「沖縄の人びとがみずから「国民」であることを求めていった時代」とする構図です。それは、一つの落とし穴へのめりこんでいった思想といえるかもしれません。とともに、そこに発揮された主体性・能動性ゆえに、自立への芽を内在させていたということができます。つまり倒立した自立思想とでもいうべきものでした。

 ここでいう「落とし穴」とはどういう意味だろう。「国民」になるということが、沖縄のことなど方便としてしか見ていない日本という国に対して行われたことを指しているだろうか。そこでは、自己決定の追求は、逆にますます自己喪失につながるものとしてしか現れない。そこで、自立思想は、「倒立」したものにならざるをえない。ひとまず、そう受け取ってみる。

 鹿野の視点は、ある側面を照らしてくれるので興味深いが、琉球処分以降、復帰運動には、通底するものを見いだすのも重要だと思える。それを探せば、「国民」化を通じた自由と平等の獲得への希求と捉えることもできる。また、琉球処分と復帰運動と異なるもの、復帰運動のなかに新たに加わったものがあるとすれば、「異民族支配」からの脱却を通じて、「国民」化を果すという層だ。そしてそこには、自由と平等というなかに、「平和憲法」に象徴された「平和」が含意されていた。戦後、日米安保と憲法九条は、日本に組み込まれたが、あたかも「日米安保」は沖縄が担い、憲法九条は沖縄が担うという割り振りが行なわれたかのように、ことは推移し、また今もそのままだからである。

 「国民」化の指標を、共通語を話せるということに求めれば、現在では、沖縄の「国民」化は果たされているので、個人の感性ベースでは、自由と平等を実感できるところまで至っている。ただ、「基地」の分布でいえば、依然として自由と平等は獲得されていないことになる。ここで、「国民」化に対する疑問は反発となり、別の「国民」への希求が生まれることになる。

 

鹿野政直 『沖縄の戦後思想を考える』


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