死穢と他界
棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態』から、葬制における死穢が存在する場合の他界の所在を一覧化してみる。
確かめたかったのは、「聖なるもの」が「穢れたもの」へと反転するのが、「生と死の分離」の前に起きるかどうか、ということだった。
見る限り、「生と死の分離」以前に、死穢は発生している。「生と死の分離」というより、棚瀬が言うように、屈位の埋葬であることとの相関が高い。つまり、原始農耕は死穢の観念を伴う。ただ、この段階でも死霊は帰来できる。モノ島では死霊は島の居場所を持つほどだ。ムヌヌヤーという言葉を思い出す。ここでは、生と死は分離していない。
このなかで、「生と死の分離」以後と見なせるのは、カヤン族とニコバル族のみだ。おそらく、「生と死の分離」以後は、「聖なるもの」の「穢れたもの」への反転は必然化される。反転がきわまったところで、分離は起きると仮定しておきたい。反転のねじれが結節点を持つに到ったとき、分離は必然化される、と。
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