『首狩の宗教民族学』(山田仁史)
山田仁史は、「首狩」の習俗について、「少なくとも首狩を初期農耕民の世界像に帰属させることには賛成してよいだろう」としている。そして、初期農耕が女性たちによっては始められたと考えられることから、こう書いている。
女性の権力や財力が大きかった。そのような社会では、男は何をしていたのだろうか。狩猟活動の重要性は、農耕によrつ安定的な蓄積によってどんどん失われていっただろう。農作業においても、開墾という筋力を必要とする仕事は別として、作物を育てる基本的な仕事全体は女性の手に移ってしまったのである。そのような環境で、男たちが能力をを発揮できる場、そのひとつが首狩だったのではないか。
これは、ありそうな話という以上の意味を持たないのではないだろうか。
ぼくはこれよりは、1966年に棚瀬襄爾が『他界観念の原始形態』で、「首狩」と「地上の他界」の分布の一致に着目して、個々の家族で「頭蓋崇拝」ができなくなった種族において発生したとする仮説に説得力を感じる。
首狩によって獲得せられた首級は、同族頭蓋がそうであったように、宗教的に力を持つものである。否、複葬の廃止によって宗教的対象を失ったものが、その欠を補わんとして首狩の習俗を起したのである。かくして得られた首級は農耕の豊穣ももたらし、新築家屋を強化することにも、あるいは悪疫の駆除にも役立つとされたであろう(p.750)。
複葬の廃止による「頭蓋崇拝」の「首狩」への転化は、頭蓋崇拝の家族宗教から共同宗教への転化を意味している。しかし、共同宗教化した頭蓋崇拝も「氏神化」への途上ではあっても、「氏神」までは至っていない。そうした位相にあると思われる。
棚瀬の後を継いで、葬法と他界観念との関係から、「首狩」にアプローチする研究を見てみたい。(cf.「地上の他界と首狩の分布」)
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