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2015/11/20

『オキネシア文化論』

 琉球弧の精神史の古層を探る過程で、南太平洋の島々との近さに気づいたのだけれど、そうした視点が琉球弧内から発信されていないか、探して見つけたのが三木健の『オキネシア文化論』(1988年)だ。

 三木は書いている。

 およそ五十日、それらの島々を訪ね歩き、島の人びとの生活に触れてきての感想をひとことで言えば、沖縄もまぎれもなく、太平洋の一つのネシア(島)だということである。南太平洋まで出かけて、思いもかけず、いや予想通りというべきか、私は"オキネシア"を発見したのである。
 南太平洋の島々を回って、理屈抜きに湧き出てくるある親しみを抑えることができない。その親しみとは、同じシマ人としての"共通感覚"に根ざしたものであった。ゆったりした時間、人びとのやさしいもの腰、それはかつて琉球弧にも充満していたものである。人びとと接して、私は眠っていた感覚をゆさぶられる思いであった。
 パプアニューギニアの北に、ニューブリテン島という島がある。その島のキャビアンという村に、沖縄海外漁業会社の現地法人会社があった。同事務所は、いろんな事情から一九八六年に閉鎖されたが、そこにノリスさんという現地の青年が働いていた。オーストラリアの大学を出た島のインテリである。彼の運転するモーターボートで、カツオ漁の母船基地まで連れていってもらったことがある。
 ヤシ並木のプランテーションの島々を右に左に眺めながら、夕映えの海を走った。彼とつたない英語で話し合ったところによると、彼も人口わずか二、三百人の小さな島の出ということであった。私も琉球列島の小さな島の出身だ、と言うと、彼は納得したように「セイム・フィーリング」(同じ感覚だ)と言ってうなずいた。私も、彼のもの腰や考え方には共鳴するところがあって、親しみを禁じ得なかった。

 こんな旅をぼくもしてみたいものだ。南太平洋の旅で三木は「オキネシア」を発見したとすれば、ぼくもその点に関しては、三木と「セイム・フィーリング」(同じ感覚だ)なのだと思う。

 三木は、「オキネシア」をヤポネシアから分離・独立させる形で取り出している。


『オキネシア文化論―精神の共和国を求めて』


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