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2015/11/28

与論島が「根の島」と言われたことの意味

 以前、島の兄(ヤカ)に、沖縄から来た祝女が、沖縄島を、東は久高島、北は与論島、西は伊江島(だったか、忘れてしまった)が守っているという話しを聞いて驚いたことがある。でも、ひと月ほど前、霊力豊かな石垣島の写真家の仲程長治さんが、与論への撮影取材のあとに、「久高島と似ている気がした。東に久高、北に与論があって、沖縄島を守っている感じ」と言うのを聞いて、ふたたび驚き、しかし、説得力を感じるところがあった。

 驚きついでにいえば、以前から、「おもろそうし」で与論島が「根の島」、「根の国」と称されるのが不思議で仕方がなかった。何もない小さな島と思っている身にとっては、重要視されていることに戸惑いを覚えるわけだ。自分でも、「根の島としての与論は、ぼくたち与論人(ゆんぬんちゅ)自身の、島に対する歴史感覚を強く揺さぶる」(cf.「与論、かゑふた、根の島」)などと書いている。

 「おもろそうし」に見る「根の島」、「根国」の地名は、以下の通りだ。

 根の島 与論(4)、赤木名(2)、宜野湾(2)
 根国 与論(1)、中城(1)、佐敷(8)、浦添(4)、玉城(6)、糸満(5)

 これを見ても、他が名だたる地域であるのに対して、与論だけ異質に見える。その異質さの要素のなかには、与論だけが島だという点にもある。それが、「根の島」としての頻度が高いことにも現れている。

 たしかに、「おもろそうし」の時代には、北の奄美諸島攻略のための中継点という政治的意味を持っただろう。伊波普猷も、

しよりゑとの節
一 かゑふたの親(おや)のろ
  真徳浦(まとくうら)に 通(かよ)て
  按司襲(あじおそ)いに
  金 積(つ)で みおやせ
又 根(ね)の島(しま)の親(おや)のろ

(930、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)

 などの歌を引いて、「与論島が、沖縄から大島諸島に渡る時の足溜りであったことを語る」(「あまみや考」)と書いている。

 これは認めるとして、しかし、それとは別に言うなら、こうした政治的拠点の意味を持つ前から、与論は「根の島」と言われていたのではないだろうか。

 冒頭の祝女や仲程さんの言葉を手がかりにすると、そう思えてくる。

 ぼくの仮説をいえば、これは、与論がかつて、沖縄島(北部)の人にとって、「あの世」の島だったことを意味するのではないだろうか。久高島はたしかにそうだったとぼくは思っている。神々が来訪する際に、「足留り」する島は、かつて「あの世」の島だったものが、ニライカナイが海上はるか彼方に遠隔化して以降に、かつての「あの世」を辿り直しているものだ。久高島が、神の島と呼ばれるのは、その前段は、死者(カミ)の島だったことを意味している。もちろんそれは、久高島の島人がそうだということではない。久高島を臨む位置にある沖縄島の島人にとってそうだったということだ。奥武島がそうであるように、地先の島は、「あの世」の島なのだ。

 同様に、与論も沖縄島北部の島人にとっては地先の島であり、死者が遠くに行く前の段階で、まだ近くの他界に行くと考えられたころ、与論は他界の島だったのではないだろうか。

 与論が、「根の島」と呼ばれた淵源をたどれば、どうもそういうところに行きつく気がする。こう理解すると、与論が「根の島」と呼ばれ、おもろ人にとって神聖視された理由も分かる。また、「立派な、素晴らしい集落」と翻訳したこともある「かゑふた」と呼ばれることもある理由も頷ける(cf.「「かいふた」とは立派な集落という意味」)。もちろん、この場合でも、与論に島人は住んでいたし、島人が死者(カミ)であったわけではない。ただ、そういう神聖視される土地だったということだ。

 蛇足すれば、久高島と与論島が「あの世」の島として同位相にあったとすれば、久高島が「神の島」になり、与論島が「根の島」ではあっても「神の島」にならなかったのにもいくつか理由があるだろう。与論の人はお茶目で神っぽくないから、というのは冗談として、与論島は「道之島」のひとつで実際の交通の中継地点の意味を持つのに対して、久高島は沖縄島に対して東方にあることが大きな意味を持ったに違いない。遠隔化された他界であるニライカナイが東方へ方位されたとき、久高島が沖縄島の東にあることがことのほか重要だった。それが、久高島を「神の島」にした要因のひとつだったに違いない。

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